関東大震災で社会主義者が殺されたのか?

社会主義者が暴動を起こしていた。


わかるヨコハマ 横浜市中学生用副読本 2009年6月2日初版 関東大震災の記述
「軍や警察はこの機に乗じて、暴動の扇動や計画を企てたという名目で、日本の社会主義者や労働運動の指導者を逮捕したり、殺害するようなことも行った」

 まあ、だいたいお決まりの「戦後」記載方式を採用しています。巨怪伝という佐野氏の著書がもとになっているのではないかと思います。社会主義者の事件としては亀戸事件があげられます。社会主義者の川合義虎、平沢計七ら10名が、以前から労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられた事件です。

 亀戸署長の古森繁高は「平沼ら8名は南葛労働本部である川合の家の屋根上で火災を見て、『いよいよ俺たちの時代が来た』といって革命家を歌い、附近のものを集め騒ぎをおこした」と述べています。平常時なら近所への迷惑行為だけですが、ここ数年の社会主義の運動という背景があるのと、「戒厳令」が出ている状況です。当然取り締まりしなければならないでしょう。
 平沼らは亀戸署内に一旦留置されますが、騒ぎが収まらず、革命歌を高唱します。このとき、亀戸署内には拘束されたいた数は770余命で、騒動を制止しきれないので、警視庁から軍隊へ応援を依頼します。留置場から庭へ引き出すとさらに騒ぎだし革命歌を高唱する。軍は制止しきれぬと判断し、衛戌刑務規定により、労働者10名と自警団4名を刺殺しました。これは戒厳令下ではやむを得ないでしょう。この事件は9月4〜5日ですが、5日には以下のような記事も見られます。
 
「亀戸警察署において、5日鮮人6名及び之を扇動する邦人の社会主義者を拘束せしに、警察官の命に従わず暴行を敢て(あえて 進んでという意味)せしのみならず、他の拘禁者を使嗾(しそう/指図してそそのかすこと)不穏の挙動に出でた事などである」京城日報 大正12年9月9日
 
 この事件は後の「虎ノ門事件」につながっており、第48回帝国議会の開院式に向かう摂政・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の御召自動車(おめし・じどうしゃ)に向けてステッキ状の銃から銃弾が撃たれました。至近距離でしたが銃弾は幸いにも、僅かに皇太子の顔を外れ、車のガラスが破損しただけで済み、皇太子は難を逃れました。犯人は難波大助で虎ノ門事件、甘粕事件をうけてテロリストとして活動する決意を固めたといいます。
 
 甘粕事件は渋谷憲兵分隊長の甘粕正彦アナキスト大杉栄とその内縁の妻、伊藤野枝、大杉の甥の7歳の橘宗一を震災直後の9月16日に憲兵本部に連行して殺害し、遺体を本部裏の井戸に遺棄したというものです。この事件には特高警察の森慶次郎曹長も加担しており、甘粕本人は「すべて自分一個人の判断」と主張しています。謎が残る事件で、甘粕は子供は殺害していないと供述し、鴨志田上等兵らが自首しますが、証言が食い違ったりしています。
 
 社会主義者が殺されたという亀戸事件をみると大震災に乗じて社会主義者らが異常に興奮していたことが伺え、皇太子暗殺未遂というテロ行為にまで発展するような状態であったということです。また甘粕事件にしても「国賊・大杉を処断した甘粕大尉に減刑を」との署名が数十万名分も集まるなど甘粕大尉を支持する声も強く、世論が二つに割れていたということも当時の世相がわかろうというもので、単に社会主義思想を持った人が突然逮捕され殺されたというわけではないのです。



参考文献
 「わかるヨコハマ」横浜市教育委員会/かながわ検定協議会 編  協力・横浜銀行
 「関東大震災 〜 朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子著
 「関東大震災吉村昭
参考サイト
 WikiPedia「亀戸事件」「虎ノ門事件」「難波大助」「甘粕事件」
 皇室のきょうかしょ vol.44 殺されかけた天皇
   http://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu44.html
 【実録】 続・関東大震災 不逞鮮人暴徒化 
   http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%C2%B3%A1%A6%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2

添付画像
 摂政宮殿下の震災地御視察(PD)

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関東大震災の惨状
http://www.youtube.com/watch?v=WzkV1FlByy4

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