日露戦争の日本軍に協力した一進会

一進会の存在はひたすら隠し続けられています。


 1860年に崔済愚(チェ・ジェウ、さい せいぐ)が起こした思想東学の三世教主、孫 秉熙(ソン・ビョンヒ)は1903年に李容九(イ・ヨング)らに半島の東学組織を進歩会に再編させます。進歩会は黒い服をきて、断髪していました。朝鮮では儒教の規範により白い服を身に着けており、長い髪をかきあげて髷を結っていましたから目につきます。大韓帝国政府は進歩会の前身が東学ということを知り、驚愕します。そこで日本に進歩会の討伐を依頼します。しかし、日本は拒否。日露戦争が勃発すると進歩会は日本軍に協力し、開化派と合同し、一進会を結成しました。大韓帝国皇帝の高宗らは裏でロシアとつながっていました。ですから、日露戦争は半島内では次のような構図になっていたわけです。
 
 日本 大韓帝国一進会
 
  VS
  
 ロシア 大韓帝国(高宗ら支配階級)

 進歩会は5万人の東学教徒を動員し、日本軍の京義鉄道施設工事と兵站業務を助けました。またロシア軍の動きを探る諜報部員を朝鮮半島満州各地に派遣し、日本軍の目となり耳となっていました。つまり民衆は日本を支持したわけです。
 教育学博士の若狭和朋氏の祖父は上等兵日露戦争に従軍してこう述べていたといいます。

「俺たち第一軍は朝鮮に上陸して朝鮮からロスケ(ソ連兵のこと)を追い出しながら、満州に渡った。朝鮮人は、日本軍に協力した。これは凄かった。だいたい、朝鮮の村では、貧乏人は徹底的にいじめられておった。日本軍は支那軍やロスケと違って、いじめもせんし、物を取り上げたりはせんから大歓迎してくれたもんたい。両班(貴族階級のこと)とか威張ったやつどんがおったが、好かんかった。お産をする家があって、(出入り禁止の)はり紙を出したことがあった。お?・・・俺が書いた。命令たい。軍隊では何でも命令だ。貼ったのは、だれか知らんが、日本軍は悪さはせんやった。食い物を差し出すけど、ばってん命令でもあったが、食わなかった。日本軍は好かれていた」

 民衆が日本軍を支持していたことが良くわかる話です。また、このようにも言っています。

「トロッコみたいな鉄道を日本軍に協力して敷いてくれた朝鮮の部隊・・・ではないが、いた。その指導者はあとで大臣になったと聞いた。が、誰か忘れた」

 大臣になったというのは宋 秉蔲(ソン・ビョンジュン)のことでしょう。
 
 戦争初期に朝鮮半島北部を旅行したマッケンジーは著書でこう述べています。
「どこでも韓国の国民からは日本軍に対する友好的話題ばかりを聞かされた。労務者や農民たちも友好的であった」

 現在、これらの一進会の事実は韓国では徹底的に隠されているといいます。よくて日本の御用団体の扱いです。韓国でも文明の大転換期に国家革新に動いた人たちがいたのです。
 
 

参考文献
 「親日派のための弁明」金完燮
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「大東亜戦争への道」中村粲
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 日韓合邦を熱望した一進会 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/21080352.html

添付画像
 ソウル東門1904年(PD)

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