疫病の国、韓国を救った日本


 韓国では日韓合邦時代に日帝が奪ったものの一つに韓国人の生命を挙げていますが、真っ赤なウソです。生命を奪ったのなら950万人の人口が2500万人になるはずがないし、平均寿命が24歳から48歳まで伸びるはずがありません。

 日韓合邦前の韓国では疫病が生命最大の脅威で、肺結核ハンセン病、肺臓ジストマ、赤痢チフスなど以外にもアヘンやモルヒネ中毒もありました。衛生環境が非常に悪く、首都でもいたるところに人糞や牛馬糞が満ちており、井戸水はにごっており、風呂に入れば茶色の湯でした。(当時、朝鮮では風呂に入る習慣はなく、これは韓国へ行った日本人の話)17世紀から19世紀にかけて年間十万人以上の死者を出す疫病が6回も流行しています。

 また、医療も迷信に基づく医療でした。「牛糞を塗る」「ヒマワリの種を湯がいてたべる」「患者が桃の種を二つに割り、一方に『日』の字を書いて、もう一方に『月』の字を書いて一気に飲み込む」「小さな蛙を三匹生きたまま丸呑みする(腹痛に即効)」「じっくり沸かしたお湯に40歳の女性の髪の毛を入れて飲む」という方法がとられていました。大韓帝国の最後の皇太子の妃は腹が腫れる病気になり、民間の医師の診察を受け、腹に悪霊が住み付いたと診断され、城門の戸板をはがして煎じて飲まされるという治療が行われています。その後、死亡しています。

 日本は大韓帝国政府樹立以来、京城京城医専、同付属病院の設立を皮切りに次々と公済病院を設立し、明治42年(1909年)慈恵医院の官制を発布します。日韓合邦後は本格的に近代医学医療制度を導入していきます。
 明治43年(1910年)から防疫、検疫を実施し、疫病の進入防止に取り組みます。この結果、コレラ天然痘、ペストなどの大流行はなくなり、乳児の死亡率が大幅に低下しました。各道から市町村に至るまで医療制度は整備されていき、すべての人が近代医療の恩恵を受けられるようになります。
 インド、シナから朝鮮半島にはハンセン病が猛威を振るっていましたが、救ライ事業として世界的な規模の小鹿更正園を作り、6,000人以上の患者を収容しています。

 日韓合邦は近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって、朝鮮民族の生命保全と繁栄に大きく貢献したのが歴史の真実です。



参考文献
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「日本の植民地の真実」黄文雄

添付画像
 1904年のソウル(ロシア施設団をロシア軍が警備していると思われる PD)


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