マニフェスト・デスティニー


 1898年、米国はスペインと戦争を起こします。キューバ、フィリピン、グアムが主な戦地になります。フィリピンは当時スペインの植民地で「独立させてやる」という米国の甘い言葉に乗ってスペイン軍と戦います。しかし、米国はフィリピンを植民地にしてしまいました。フィリピン人は抵抗して戦いましたがアーサー・マッカーサーダグラス・マッカーサーの父)の指揮で住民を殺しまくり、餓死させ、その数60万人にのぼったといわれています。(米比戦争, 1899年-1913年)
 アーサー・マッカーサーサマール島で住民を殺しまくる米兵が逆に殺されると、報復としてこの島と隣のレイテ島民を皆殺しにします。あまりにも残忍だったので昇進を逃したといわれています。この後、フィリピン人は米軍の恐ろしさを体験し、もはやアメリカだけには反抗できなくなりました。フィリピンの小学校では全教科書が英語で行われ、教室にはワシントンの写真が貼られました。
 日米開戦となるとフィリピンにはダグラス・マッカーサーが指揮官となっており、日本軍を侮ったためコレヒドール島から逃げ出しましたが、二年後に再びフィリピンに戻り、レイテ島にやってきました。「島民は歓喜して出迎えた」と彼の自叙伝には書かれているそうですが、この島はマッカーサーの父が大虐殺を行ったところで、島民はそっぽむいていだそうです。
 
 「マニフェスト・デスティニー」明白なる天意、神の摂理という意味です。米の外交政策百科事典には以下のように説明されています。

「国家の命運信仰は何も米国人だけのものではない。その信仰を持たない国家や帝国はこれまで存在しなかった。しかしながら、1840年代の『マニフェスト・デスティニー』の推進者たちにとって、この言葉は米国が政治的にも領土的にものし上がっていくのだという一般の人々による信念を反映していた。彼らはこの言葉の信念を根拠として、国家の拡大は米国民のユニークな資質 − 自分たちのエネルギー、気力、米国という国家の持つ民主的制度、自らの文明の恩恵を他の不幸な人々にまで及ぼさなければならないとする義務感 − によって実現するのだ、との考えをもっていた」

 早い話、有色人種を虐殺して領土を広げることは正当な行為としているのです。1859年に米国の司法長官は「有色人種にキリスト教化、文明化の恩恵を与えてやろう、従属させ、征服し、君臨する権力と特権を白人は持っている」と言うような演説をして大喝采を浴びています。

 大東亜戦争で米国は対インディアン、対フィリピン、と同じように日本を見ていました。インディアン、フィリピンのような運命が見えていた日本はカミカゼ特攻隊を組織し、兵士たちは自らの命をもってして愛する日本を守ろうとしたのです。沖縄では軍民一体となり悪魔と戦ったのです。それが戦後、占領軍にとっての脅威となり、日本はフィリピンやインディアン、ハワイほどまでのことにはならなかったのです。「鬼畜米英」は単なるスローガンではなく当時の常識と言ってよいでしょう。日本の終戦工作がいかに難しかったか、昭和天皇の御聖断はいかなる思いであったことでしょうか。戦後隠された米国の悪魔の所業を見なければこれらの本質は見えてこないと思います。


参考文献
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
 「天皇論」小林よしのり
 週刊新潮 09.7.30「変見自在」高山正之
参考サイト
 WikiPedia米西戦争」「米比戦争」

添付画像
 1872年に描かれた「アメリカの進歩」(PD)


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