日韓合邦を亡国と思っていなかった韓国人
これまで何度か書いていますが、日韓合邦は武力による植民地化ではなく、条約に基づいた合邦国家であり、チェコ・スロバキア、ユーゴ・スラビアといったように当時では珍しくない国家形態です。戦後になって「植民地」と言い出し、歴史を歪曲させたのです。
1895年(明治27年)日清戦争まで韓国(李朝)は清国の属国であり、朝鮮人には「国家」の意識が薄く、更に、朝鮮民族という「民族」の意識は非常に薄いものでした。「民族」というのは日本語であり、日韓合邦後に朝鮮半島に広まり「民族」の意識が芽生えたようです。現在、韓国人は白頭山(はくとうさん/ペクトゥサン)を民族の聖地としていますが、これは日韓合邦後に生まれた学説です。
民族意識が薄かった韓国人は日露戦争後、一進会を中心に日韓合邦を望みます。
1909年12月「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかもわからないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、我々も一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」
国家意識が薄く、民族意識が薄い韓国人はこれを亡国とは思っていなかったようです。思想的には一進会の宋秉蔲は超民族主義者としてアジアの大勢を見ていたようです。
宋「連邦制では強固な国家足りえない。合邦する以上、日韓を不即不離のものとするため、韓国皇帝のすべてを日本天皇陛下に委譲することがもっとも現実的な方策だ」
こうした一進会の動きに反対した勢力は李朝・守旧勢力であり、国家や朝鮮民族が滅ぶことを心配して反対したわけでなく、既得権益が損なわれるから反対していたわけです。戦後、この歴史は歪曲され、一進会は日本の御用団体にされ、李朝・守旧勢力が義兵にすり替えられてしまいました。アメリカに擁立された政権が政権の正統性を作り出すために国家的に偽史を作り上げたのです。日本では学校教育や偏向マスメディアによってウソの歴史が広められました。
韓国では少しづつニセの歴史から目覚めつつあることを聞きます。ソウル大学教授の李榮薫氏の著書では文明の大転換期に直接日本が関わった、と論じており、細かくは述べていません。氏は自論を述べて随分ひどい目にあっていますから、このあたりが現在の限界でしょうか。
参考文献
「大韓民国の物語」李 榮薫・著 , 永島 広紀・訳
「日本の植民地の真実」黄文雄著
「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
WikiPedia「日清戦争」「白頭山」「一進会」