ルック・イースト政策から30年

日本なかりせば。




 「ルック・イースト政策」というのは昭和56年(1981年)にマレーシアのマハティール首相(当時)が提唱した政策で日本型の集団主義と勤労倫理を学び過度の西洋型個人主義を見直すというものです。そしてマハティール首相は平成2年(1990年)に日本主導のEAEC(東アジア経済会議)構想を打ち出しました。これはアメリカの反発を買い、アメリカの顔色をうかがう日本は積極的にはなれませんでした。

 平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
 もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」

 「日本なかりせば」演説と呼ばれるものです。なんとも日本人には嬉しい話しではありませんか。

 「ルック・イースト政策」から30年がたちました。今年10月31日の読売新聞朝刊によるとマレーシアの「日本流」は岐路にきているといいます。既にマレーシア経済は国民一人あたりのGDPは1万ドルに達し、30年前の6倍になりました。「1990年代のバブル崩壊以降、経済低迷から抜け出せない日本に学ぶ点はない」「官僚が主導してきた日本型の経済運営システムは、我々のモデルとして適切ではないことが分かった」「日本から学べる点として挙げるのは『先端技術のみ』」という厳しい声も上がっていると報じています。

 マハティール首相は日本はもはや「反面教師」と言ったこともありましたが、10年ほど前「立ち上がれ日本人」という本を書いています。マハティール首相は日本の何に注目したのか、もう一度見てみたいと思います。

「私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行のことでした。当時の日本は復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。それでも、大阪では水田の真ん中に立つ松下の工場が私の度肝を抜き・・・私は日本と日本人のダイナミズムを体感したのです」
「もっとも注目したのは、職業倫理と職場での規律正しさによって、品質の高い製品を作り上げるという姿勢でした」

マハティール首相は日本の工場で見た制服と胸の名札をすべての役所に導入しました。日本のジャーナリストがマハティール首相を訪ねて、執務室に入ると望遠鏡が置いてあるので「星をみるのですか?」と聞くと、首相は「みんながきちんと働いているか見ているんだ。働いていなければ、この電話でハッパをかける」と冗談を飛ばしたといいます。これを聞いていた側近が後に「あれって冗談に聞こえないよね。首相ならやりかねない」と苦笑しました。日本人の「勤勉さ」にマハティール首相は大いに注目したのです。

「日本型の大企業のシステムは、欧米の会社のシステムと随分違っていました。会社同士は競争しても、会社は社員の面倒を見る。終身雇用という形態は、西側諸国にはないものでした。社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障を来たさなかったのです」

日本型企業というのは西洋のように経営者と従業員という対立軸があるわけではなく、企業自体が「村社会」を形成しています。単位共同体のようなものです。これにマハティール首相は注目したのでした。

 マハティール首相は日本の近代史も評価しています。
明治維新は日本にとって大きな転換点でした・・・多くの日本人が当時、産業技術を習得するため欧州に送り込まれました。日本は瞬く間に欧州と同じレベルの産業の技術と、商いの方法を身につけました。さらには日本を統治しようとする欧州人の試みすら、1905年、近代化された海軍によってロシア軍を決定的に打ち負かすことで見事に粉砕してしまったのです」
「その時、日本は東アジアから尊敬される存在となりました・・・東アジアの人々は日本の近代化を見習おうと努力を始め・・・さらに太平洋戦争の初期段階における日本陸軍の成功は、それまで無敵と思われてきた欧州の軍事力の魔法を解くことになりました。東アジアは、彼らの『欧州の君主』も敗北することがあると認識しました。それが、彼らの独立に対する切望の念を強くしたのです」

 マハティール首相は日本の伝統的美徳である「勤勉さ」や個人の利益より集団の利益を優先する姿勢、歴史的にひたむきに近代化の努力を行い、戦争で廃墟になりながらも経済大国として復活した日本を高く評価し、ルック・イースト政策を実行してきたのでした。そしてマハティール首相は日本人にエールを送っています。我々日本人はしっかり受け止めましょう。

「いまのところ日本は、私たち東アジアの国々から生まれた唯一の先進国です。そして、富める国には隣人に対してリーダーシップを発揮する義務があります。潜在的な大国である中国をうまく御しながら、その責務を果たせるのは西側諸国ではありません。それは、東アジアの一員たる日本にしかできない役目なのです。
 いつまでも立ち止まっている余裕はありません。それは日本にとっても、東アジアにとっても、世界にとっても、大いなる損失でしかないのです。最後にはっきりと申し上げたい。日本人よ、いまこそ立ち上がれ − と」




参考文献
 新潮社「立ち上がれ日本人」マハティール・モハマド(著) / 加藤暁子(訳)
 小学館「アジア人と日本人」大前研一(著)
 読売新聞 平成24年10月31日朝刊「マレーシア『日本流』岐路」
添付写真
 マハティール・ビン・モハマド(PD)

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