広島のGHQの子孫たち

GHQによって洗脳された広島の人々。


 昭和22年(1947年)12月7日、広島護国神社跡に昭和天皇がおられました。

「熱心な歓迎に嬉しく思う。広島市民の復興の努力のあとをみて満足に思う。みなの受けた災禍は同情にたえないが、この犠牲を無駄にすることなく世界の平和に貢献しなければならない」

 集まった7万の広島市民は天皇陛下万歳!」「天皇陛下万歳!」の大合唱で応えました。

 12月8日読売新聞
「87名のいたいけな”原爆孤児”たちがお待ちする市外の観光道路で車から降りられた陛下は日夜読経に明け暮らす谷口義春(15)君など4名の法衣の孤児たちをなぐさめられ、”明るく勉強なさい”とはげまされると子供たちは”ハイ”と元気に返事をする、(略)頭部から顔面にかけて一面にホウタイしたうえにそっと手をかけられ、のぞきこまれる様子であったが、やがて”よい子におなりなさい”と声を落とされた」

 広島県立第一高校女学校 第二学年 兒玉蓮子
天皇陛下はいよいよ原爆の都広島の地をおふみになった。護国神社跡まで奉迎に出ていた何万の広島市民は一目でも平価を拝見しようと大人も子供も必至だった。(中略)そのお言葉、そのお声、陛下は如何に我々広島市民のことをご案じになっていられるかがわかる。(中略)前に新聞で見たが陛下はほんとうに平和を心から愛されるお方だ。今こうしてお迎えしたのはまるで夢のような気がする・・・」

 昭和天皇は戦後、全国を巡幸されましたが、あまりの国民の熱狂ぶりにGHQは震撼し、広島巡幸の次の九州巡幸は中止にさせてしまいました。

 それから26年後、昭和天皇は再び広島を訪れました。

 飲み屋を経営する高橋広子さん。
「あの人(天皇のこと)、慰霊碑に花置いて、老人養護ホームへ行って、それだけじゃあないですか。年寄りたちが『陛下さま来られて、これで思い残すことがありません』いうた。うちゃあ、『あんたがたこれだけ悲しんでおって、何が有難いが!』と新聞引き裂いて泣きました。そのあと、あの人は、天皇は何を下ですか。原爆病院にもいかず、無縁仏にもいかず、こともあろうに、そのあと東洋工場ば行った。(中略)己がケロイドの顔をホウタイの中に閉じ込めて、屍のように生きとる被爆者に、どうして『チン(朕)がすまなかった』というてやらんですか。(中略)なぜ、戦争やめさせたのはあの人の意思やという”歴史”があるのですか。『神やない、おれは人間や』いうたのですか。美談だけが残って、なぜ責任は消えるのですか」

 広島生まれ、広島育ちの私からいうと、だいたいこれが私が育った頃の広島論調です。はだしのゲン論調でしょう。

 『神やない、おれは人間や』・・・これは昭和21年の「新日本建設に関する詔書」の中で天皇の神格化を否定するような一文があり、GHQの要請で挿入したものです。「人間宣言」というのは悪意あるプロパガンダ用語で、この用語がひとりあるきしてしまいました。昭和21年当時は騒ぎにはなっておらず、当たり前のこととして国民に受けいられていました。その後、「人間宣言」というプロパガンダに日本国民は洗脳されてしまったわけです。

 原爆孤児の人の話
「私たちは、天皇を二度見ました。
 一度目は、終戦直後、私が原爆孤児の寮に収容されていた小学生のころです。天皇は殿様のようでした。二度目は(昭和)46年の広島訪問でした。そのとき私は『天皇は象徴やなか、笑徴や、恥や』と思いました。広島にはもっと早く来るべきでした。しかも、自分の意思で」

 これもGHQが作った「象徴天皇が刷り込まれています。古来より日本は君民一体のお国柄であり、天皇は権力をもたなかったので天皇は「象徴」と言えば昔からそうなのですが、GHQは憲法に「国民主権」を入れ天皇の地位は「国民の総意に基づく」として天皇と国民を対立可能な構造にし、国民のほうが上だ、という意識を持たせるようにしました。ですからこうした天皇を軽んじる人間が育つわけです。いわばGHQの子孫たちです。

 それとGHQは歴史の捏造・歪曲などを通じ、軍と国民が対立するよう仕組みました。私は戦争がおこったのは軍国主義だから、軍が暴走したから、と教えられました。ですから「戦争責任」というと軍や天皇に目がいくようになるのです。本来「戦争責任」というのはおかしく「敗戦責任」だろうと思うのですが、こうした広島論調には「国民の責任」というのがスッポリ抜けているのがわかります。戦争というのは国民の支持がなければ絶対にできません。日米開戦は日本国民がアメリカに対して激怒し、開戦を支持したのです。もし「戦争責任」というものがあるとしたら、それは国民に大いに責任があるのです。



参考文献
 幻冬舎昭和天皇論」小林よしのり(著)
 講談社学芸文庫「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)
 成甲書房「昭和天皇は知っていた 原爆の秘密」鬼塚英昭(著) 

添付画像
 昭和天皇の全国巡幸(昭和22年・広島 PD)

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ある現象☆昭和22年12月7日原爆の都 廣島の中心地
http://www.youtube.com/watch?v=MiWHNAYjrRc