先帝祭

先帝を偲ぶ。


 1月7日は宮中で先帝祭(昭和天皇祭)が行われます。昭和天皇崩御の日にご追悼の思し召しで皇霊殿及び山稜で行われる大祭です。皇霊殿では天皇皇后両陛下、皇太子同妃殿下が御拝礼され、武蔵野陵には勅旨を参向させて奉幣なさいます。皇霊殿というのは賢所の西側にある建物で、ここには天皇陛下のご先祖に当たられるご歴代の天皇、その后妃の御霊(みたま/ごりょう)を御祀りされています。先帝祭では昭和天皇の側近だった元宮内庁職員の方も参列なさいます。昭和天皇に感謝し、国の安泰を祈るお告げ文を天皇陛下が読み上げられます。

 午後5時から、再び天皇皇后両陛下、皇太子同妃殿下が拝礼され、ご退出後、皇霊殿の前で御神楽の儀が深夜まで行われます。6時間にもわたり、15曲の古代歌謡、うち2曲は人長舞という舞を伴った神楽が行われます。こうして昭和天皇の御霊をお慰め申し上げます。両陛下と皇族方はこの御神楽が終了したとの連絡があるまで御所でお慎みになられます。

 先帝祭は明治維新より前は仏式で行われてきて、明治に入り、孝明天皇の三年祭に当たる明治三年(1870年)に神式に改められました。そして近四代の天皇の例祭を個別に行い、それ以前の天皇は皇例祭(現在の春分の日秋分の日)で執り行うことになりました。

  1月 7日 昭和天皇祭
  1月30日 孝明天皇例祭
  7月31日 明治天皇例祭
 12月25日 大正天皇例祭

 なお、6月16日に香淳皇后例祭が行われています。

 4月29日が昭和の日となっているので、一般にはこの日に昭和天皇を偲ばれていると思いますが、昭和64年の1月7日の前後のことを記憶されている人でしたら、この日を思い出されるとよいかもしれません。前年9月に昭和天皇はご重体になられ、国民はお見舞いの記帳のため、皇居へ長蛇の列ができました。記帳は1千万を超えたといいます。最期の病床に臥した昭和天皇は、お見舞いに上がった宮内庁長官「雨が続いているが、稲のほうはどうか?」と訊ねられたといいます。最後まで自己のことより国民のことを案じておられたのです。
 当時私はまだ学生でしたが、毎日のようにニュースが流れて、どこでも暮れには忘年会など自粛していました。1月7日はアルバイトをしており、腕に喪章をつけて仕事した記憶があります。何か一つの大きな時代が終わった、そんな感じを受けました。

 激動の時代、昭和を統治された昭和天皇。今は天高くからわれら国民を見守られていることでしょう。



参考文献
 「天皇論」小林よしのり
 「天皇陛下の全仕事」山本雅人著
 「宮中祭祀」中澤伸弘著

添付画像
 左から裕仁親王昭和天皇)、崇仁親王三笠宮)、宣仁親王高松宮)、雍仁親王秩父宮) (PD)

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昭和天皇崩御 〜激動の昭和、終わる〜
http://www.youtube.com/watch?v=G8D15iezQQU