本木雅弘が語る「義勇」

教育勅語は戦後言われるほどおかしいか?


 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(教育勅語より)

 NHK「坂の上の雲」で秋山真之(あきやま さねゆき)役を演じている本木雅弘氏が「歴史通」紙上「明治は”義勇”に満ち満ちていた」とインタビュー形式で答えています。本木氏は16年前に明治神宮で結婚式を挙げ、そのときの「大御心」という明治神宮発行の書籍をちゃんと持っていました。

「この大御心には『義勇』について『正しい勇気をもってお国の為に真心を尽くしましょう』と書いてあります。すごく上手に言っていますね、曖昧さを含めて。何が正しい勇気か、現代では定義しづらいとおもいます。
 自我を通せる時代になって、何が正しくない欲望で何が正当に欲していいものかという差が見えにくくなっています。明治の時代には古い教えも残り、感覚的にそのニュアンス − 要するに八百万(やおよろず)の神に守られ、自分は自然の一部としてここに立っている、というのが当たり前にありながら、優れた人材が革新的に近代化を進めていた。きっと、お国や人物に対して、畏怖・畏敬の念を持って、まごころを尽くすのが自然な表現であって、正しい勇気というのも、理屈ではなく言葉にできた時代だと思うんですね」

 本木氏は三年間、ドラマは「坂の上の雲」に集中しているだけあり、こうした明治人の心にも踏み込んでいますね。

「現代の辞書で『義勇』をひくと、『自ら進んで国や社会のために犠牲をはらう』というようなことが書いてある。『大御心』に書いてあるのと若干違うんですね。『自ら進んで』と『犠牲』という言葉が現代人にはひっかかるのではないでしょうか。一時、自己責任という言葉が物議を醸(かも)しましたが、自ら進んでと言えば自分勝手に、犠牲というと、自分が望んでいないけれどもと言うニュアンスが少し含まれる。ちょっと窮屈な感じがしますね」

「義勇」
大辞泉
 正義と勇気。また、正義のために発する勇気。

大辞林
 [1] 正義と勇気。
 [2] 正義を守ろうという気持ちから発する勇気。

 随分と違うものです。本木氏がひいた辞書の『自ら進んで国や社会のために犠牲をはらう』というのは確かにニュアンス的にひっかかります。なんだか「個人主義」「合理主義」を中心にして「義勇」を否定的にみる表現のようにも感じます。

「真之さんは『戦争不滅論』を説いていた人で、植物が地中の栄養を吸って育ち、それを鳥獣がついばむのと同じように、人間も他者・他所を侵さなければ存在していけない。つまり戦争というのも、風や波や嵐と同じく自然現象の一つで、なくならないものだという考え方が基本にある。経済や工業の発展と言うのも形を変えた戦争に他ならないと言っています。そして孫子の教えにある『戦わずして勝つ』ということを究極の戦略として考えていた」

 役を演じるだけでなく、秋山真之より学び、戦争と平和について現代平和観を超越したものの見方ができるところがすばらしいです。現代では「平和」と叫び、戦争は惨い、命を大切に、というだけで何か物質的な「命」だけに着目したものの見方のように思います。本木氏は秋山真之の著より自然を含めた観点や経済や工業といった社会の観点を含めて戦争というものを見つめています。

 シブがき隊で「ナイナイ16」を歌っていた人がいつの間にかこういうことを述べる人になっていたのですね。私は本木氏と同じ歳です。私もまだまだ学び、義勇を持ち真心を尽くし、私心を捨て、自分の能力が少しでも国家国民のためとなるよう働かなければならないと感じました。



本木氏インタビュー引用
 ワック出版「歴史通」2010.11月号

添付画像
 勅語発布50周年記念切手(1940年発行)(PD)

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