ビルマ独立宣言



 大東亜戦争ビルマ戦で日本軍は快進撃し、昭和17年(1942年)3月9日にラングーン(現ヤンゴン)が陥落します。ビルマ独立を支援する日本軍の特務機関・南機関、鈴木大佐はビルマ人と接してきた中で一刻もはやくビルマ独立宣言を行うことが必要でると考えていましたが、軍は軍政を敷く方針であり、ここには大きなギャップがあり、ビルマ人を失望させてしまいます。
 軍は総理経験者であるバー・モー博士をマンダレーの牢獄から救出し、軍政に協力する行政組織、中央行政機関設立準備委員会を作り上げ、独立運動の指導者を集めます。南機関の役割は終了し、軍と意見の合わない鈴木大佐は更迭となり7月末には南機関は自然消滅しました。
 
 昭和18年(1943年)東條首相は議会の施政方針演説で年内のそう遅くない時期にビルマ建国は承諾されるであろうと言明します。ビルマ行政府内でもこの東條声明をうけ、独立に向けて着々と準備が整いつつありました。
 同年3月17日、バー・モー行政府長官や内務部長官タキン・ミヤ財務部長官ティン・マウン、ビルマ国防軍司令官アウンサン(オンサン)一行は来日し、22日には東條首相を訪問しています。このとき、アウン・サンが日本語で下手な駄洒落を言いました。その場にいた日本人は誰も笑わなかったのに東條英機首相が大きく笑ったといいます。東條英機が「気配りの人」であったことがわかるエピソードです。23日には昭和天皇に謁見し、おのおのに勲章が授与されます。
 
 昭和18年(1943年)8月1日、ビルマは独立宣言を行います。
「本日ビルマは50年以上にわたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間にその当然占むべき地位を回復せり。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りを持って当然の地位を占め来り、その間、ビルマの光栄は天における日月の如く輝きたり」

 
 外相ウー・ヌー
「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例を、ひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上初めてこの歴史的役割を果たすべく運命付けられているかに見える」

 バー・モウ「ビルマの夜明け」(1968年英国で発刊 1973年(昭和48年)日本でも翻訳)
「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真実のビルマ解放者は、アトリー氏とその率いる労働党政府でなく、東條大将と大日本帝国政府であった」

「もし日本が武断派的独断と自惚れを退けて、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否過半数の人々からの信頼と感謝とを、日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである」
「そうは言っても、最終的には日本が無数の植民地の人々の解放に果たした役割は、いかなることをもってしても抹消することはできないのである」



参考文献
 「ビルマ独立秘史」泉谷達郎著
 「ビルマ独立に命をかけた男たち」遠藤順子著
 「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編

添付画像
 ビルマに入る前の第15軍(PD)
 
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大東亜戦争の名言集
http://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4