聖断下る

 一度目の聖断


 昭和20年8月9日深夜、御前会議が開かれます。御前会議は本来儀礼的なもので、天皇陛下は一切発言しません。結論も決まっており、シャンシャンという会議です。ところがこの日の御前会議は事前打ち合わせが一切ない異例なものでした。実は鈴木首相は事前に昭和天皇に「終戦論議がどうしても結論の出ませぬ場合には、陛下のお助けをお願いいたします」と了解を得ていました。
 
 ポツダム宣言受け入れに対して国体護持の一条件のみ提示するとの主張
 
   東郷(外相)、米内(海軍大臣)、平沼(枢密院議長)
 
 国体護持に加え占領は最小限であること、武装解除は自主的に行う、戦争犯罪人の処分は日本側で行う四条件を提示すると主張
 
   阿南(陸相)、梅津(参謀長)、豊田(軍令部総長
   
 憲法上条約締結については会議で決定した後で枢密院に諮る(はかる)必要があります。状況が切迫しているので、平沼議長を直接参加させていました。これも鈴木首相の策略であったといわれます。これで三対三です。このまま結論がでずに膠着状態になります。すると鈴木首相がこう述べます。

「意見の対立がある以上、甚だ恐れ多いことながら、私が陛下の思召しをお伺いし、聖慮を持って本会議の決定といたしたいと思います」

 昭和天皇
「本土決戦本土決戦というけれど、一番大事な九十九里浜の防備もできておらず、又決戦し弾の武装すら不充分にて、これが充実は9月中旬以降となると云う。飛行機の増産も思うようには行って居らない・いつも計画と実行とは伴わない。之でどうして戦争に勝つことができるか。勿論、忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等、其等の者は忠義を尽くした人々で、それを思うと実に忍び難いものがある。しかし今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う。明治天皇の三国干渉の際の御心持を偲び奉り、自分は涙を飲んで原案に賛成する」

 徹底抗戦を主張した阿南惟幾は伝家の宝刀「辞職」を使わなかったばかりか、会議終了後に鈴木首相に詰め寄った軍務局長に「もうよいではないか!」と一喝しています。
 
 77歳になる老宰相は17時間にも及んだ会議を乗り越え、「国体護持」の一条件をつけてポツダム宣言を受諾すると決定。中立国スウエーデン、スイスを通じて連合国へ打診しました。その際にはソ連の中立条約違反に異議をつけることを忘れませんでした。

 阿南惟幾陸軍省高級部員を全員集め、「聖断によるポツダム宣言受諾」を報告します。そしてこういいます。

「あえて反対の行動に出ようとする者はまず阿南を斬れ」


参考文献
 「昭和天皇論」小林よしのり
 「かえるうぶすな」南出喜久治
 「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀編

添付画像
 昭和天皇(昭和7年のもの PD)
 
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終戦秘史】 11 昭和天皇 聖断 (8月9日)
http://www.youtube.com/watch?v=jsCivOCYOUM