講和を模索する日本
昭和20年(1945年)5月7日、ドイツが降伏します。日本は完全孤立することになります。
5月中旬、超極秘会議が開かれます。首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の6人のみです。以下が決定されます。
1)ソ連の参戦防止
2)ソ連の好意的中立の確保
6月8日の会議では戦争継続が採択されていますが、裏では戦争終結に動いていきます。昭和天皇は東郷外相を呼び、「戦争につきては最近参謀長、軍令部総長および長谷川大将の報告によると、支那および日本内地の作戦準備が不充分であることが明らかになったから、なるべく速やかにこれを終結せしむることが得策である。されば困難なることとは考えうるけれど、なるべく速やかに戦争を終結することに取り運ぶよう希望する・・・」と述べます。さらに6月22日の御前会議でも「この際いままでの観念にとらわれることなく、戦争終結についても、速やかに具体的研究を遂げてこれが実現に努力することをのぞむのであるが、皆はどう思うか」と述べています。
政府は東郷外相、広田弘毅から駐日ソ連大使マリクに対して打診を行いますが、マリクは巧妙にごまかすだけで前進しません。モスクワの佐藤大使がモトロフ外相に当たらせますが「マリクから具体的な内容が着次第返事する」としかいわず時間は過ぎていきました。ヤルタ密約でソ連は参戦の胎を固めて準備中でしていましたから時間稼ぎです。
近衛文麿が天皇の親書を持ってスターリンに渡すことにし、親書の作成やら特派人数やらで大騒ぎでしたが、ソ連からはスターリンとモトロフがベルリンへ出発するため、回答は遅れると言ってきて、その後なしのつぶてでした。外務省は7月末ごろに米英支三国の重要会議がポツダムで行われるらしいことをつかみ、なんとしてもソ連を引き込もうと焦ります。
広田弘毅
「既に罹災(りさい)した家屋を抵当にして金を借りようというようなものだな」
7月18日、ソ連から終戦斡旋依頼の件は具体性を欠くから回答できないという返答が届きます。そして7月26日、トルーマン、チャーチル、蒋介石の三人からポツダム宣言が対日放送を通じて発せられました。
参考文献
「昭和天皇論」小林よしのり著
「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子著
「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀編
文春文庫「昭和天皇独白録」
添付画像
鈴木貫太郎(PD)
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【終戦秘史】 07 昭和20年6月の御前会議
http://www.youtube.com/watch?v=vNbVMG6-sa4