ヒロシマよ、言論空間を開放せよ!

 ヒロシマの閉ざされた言論空間


 広島は原子爆弾によるあまりにも大きな痛みとGHQが刷り込んだ自虐史観によって思考停止状態になっています。「過ちは繰り返しませぬから」と自嘲し、「見てください、原爆はこんなに惨いのです。私たちはかわいそうな被害者です。私たちの気持ちを尊重してください」と言い核廃絶を叫んでいます。世界はみんな腹黒く、「核」保有国が核を捨てることはありえません。GHQ憲法前文に書かれている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」をまじめに信じているのでしょうか。

 昨年8月、田母神元航空幕僚長は「核武装平和論」を唱え、広島は講演開催を抗議しましたが、田母神氏が言っていることは良いとか悪いとかいう話ではなく、世界常識のラインで論じているだけで、広島が言う「日本は唯一の被爆国だから核武装すべきでない」という主張は世界常識から大きく逸脱しています。広島には世界常識のラインで論じる人は一人もいないのか。

 イギリスのサッチャー首相はパーシング・ミサイル導入問題のとき、「核ミサイルを持っていたら、核の攻撃を受けるおそれがある」と反論がでたとき「日本は原爆を持っていなかったが、原爆の攻撃を受けた」と答えています。サッチャー氏は正論を言っています。
 上智大学名誉教授の渡部昇一氏はベルリンで学会があったとき南アフリカから来た人が「原爆を落としたのは結局戦争を早く終わらせるためであった」という話になり、渡部氏は「戦争を早く終わらせるためにいくらでも市民を殺してもいいというのなら毒ガスでもいいじゃないか。なぜ毒ガスにしなかったのか」というと南アフリカの人は「ああ、そうか。それは考えなかった」といいました。日本も毒ガスを持っていたから復讐攻撃されるのを恐れて絶対に使えなかったのです。ヒトラーも毒ガスは使えなかった。日本が原子爆弾を持っていれば米軍は復讐を恐れて使うことはできなかったでしょう。

 ヒロシマはお花畑の中にミサイルを置くのは似合わないと思っています。お花畑の向こうから数百発のミサイルがこちらに向けられ、中には核弾頭のものもあるのに、それはわざと見ないようにしています。ウイグルで起こっていることも見ないようにしています。北朝鮮の核に寛容です。この偏向平和思考で既得権益を持っているものがいる限り、なかなか自由な議論もできないでしょう。「核廃絶」・・・これはこれでよいでしょう。ただし、超理想的な考えです。現実の安全保障を考えれば日本が核武装するということを論じるのは当然ありで、唯一の被爆国だから二度とやられないようにする抑止方法の議論があってしかるべきです。核廃絶するなら日本が核武装してイニシアティブをとるような考えだってありです。
 
 今年はヒロシマの閉ざされた言論空間に風穴をあけようとする市民がいます。彼らの行動はあからさまに弾圧を受けていると聞きます。民主主義国家、文明国として恥ずかしいことです。広島人としても恥ずかしい限りです。ヒロシマは言論空間を開放すべきです。



文中の弾圧を受けている市民団体
 「平和と安全を求める被爆者たちの会」 http://www.realpas.com/
 「(財)広島市ひと・まちネットワーク」に講演会チラシ広報協力拒否された。許可されている講演会もある。この差は何か。

参考文献
 「正論」2009.10『観念的平和論に安住するヒロシマの閉ざされた言論空間』安藤慶太
 「日本国憲法無効宣言」渡部昇一南出喜久治 共著
 

添付画像
 平和祈念公園から見る原爆ドーム(PD)
 

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