明治以降キリスト教は受け入れられたか


 日本は明治になってキリスト教は受け入れられるようになっています。憲法にも「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と書いています。戦前真っ暗!外国の文化はダメとされた!と教えられて育った私には意外な話でした。

 長岡藩城代家老の家柄だった稲田家の六女の杉本鉞子(えつこ)(明治五年生まれ)はキリスト教徒になりますが、エッセイの中でそのときの様子を書いています。稲田家の人はキリスト教に憎悪を持っているわけでなく、皆、何にも知識がなく、儀式も無い奇妙な宗教とか踏み絵を踏まなければならない?ぐらいだったそうです。ただ、母親がキリスト教は先祖をないがしろにするものではないか?と思っていたところ、鉞子がそんなことはない、と説明し、それで安心してくれ、洗礼を受けることになります。

 戦時中などどうだったのでしょうか。評論家の日下公人氏は母親がクリスチャンで自宅に信者の人を集めて「アーメン」とやっていました。父親は裁判官で「憲法に書いてあるからいいだろう」と言っていたそうです。多少の違和感はあったものの、「憲法」に書いてあるので、と言えば通ったようです。
 日下公人氏自身もクリスチャンの学校に入ります。陸軍のえらい人が査察に来ますが、「ちょっとたるんどる」とか喝を言われるぐらいだったようで、「今日は査察があるから聖書と賛美歌を目立たないように隠しておけ」と、その程度だったと述べています。軍隊ではクリスチャンはいじめられるという噂があったそうです。しかし徴兵で軍隊にいった先輩の話によると、全然そんなことはなかったそうです。ただ、「天皇陛下とキリストとどっちがえらいか」というのは散々聞かれ、「どっちもえらいと思います」と答えると、「それじゃわからない、どっちかと聞いとるんだ」。何回聞かれても「どっちも偉いと思います」といい続ければ、それで終わりだったといいます。

 どうやらキリスト教はさほどの抵抗はなく、受け入れられているようですね。仏教を受け入れた日本人の寛容性や神秘主義的なものから脱却した国民性の表れでしょうか。



参考文献
 「明治人の姿」櫻井よし子著
 「歴史通」WiLL2009.7月『それはつくり話か大マチガイ』日下公人

添付画像
 「フランシスコ・ザビエル下関上陸の地」の碑(Twilight2640氏撮影)


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