江戸時代にも宣教師がやってきた


 豊臣秀吉の天下統一時、秀吉はキリスト教を認めていましたが、一転して禁止します。スペイン大帝国との対決が見えてきたからといわれています。白人は宣教師を尖兵として非白人の土地を植民地化していくのです。徳川時代に入り、家康も禁止しました。おそらく秀吉の政策を継承したのでしょう。江戸初期は激しくキリシタン弾圧が行われました。

 時を経て1708年徳川六代将軍家宣の時代。イタリア人のカトリック司祭、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(Giovanni Battista Sidotti)が日本にやってきます。マニラから日本に船できたのですが、日本の着物を着て、ちょんまげを結って、日本刀を差して、日本人に変装して密入国しています。ところがマニラと違って日本には髪も目も真っ黒の人しかいませんから、すぐバレてしまい、長崎で捕らえられます。シドッティは江戸に送られ、新井白石が尋問します。シドッティは「宣教師が西洋諸国の日本侵略の尖兵である」という認識が誤りであるということを説明し、白石もそれを理解します。また白石はシドッティの天文、地理、諸国の歴史、化学の知識に感銘します。
 しかし、宗教の話になると白石はあきれてしまいます。シドッティは自分が信仰しているのは全知全能の神だというのです。白石は「全知全能のそんなすごい神ならば、なぜ何千年も前に日本に来ていないのか。いまごろ来ること自体が全知全能ではない証拠ではないか」とやはり眉唾だと考えたようです。これまでキリシタンは拷問して転ばせるのが掟でしたが、白石は幕府に本国送還を意見具申しました。

 明治の時代になると日本はキリスト教を許可します。この時代にはハワイで宣教師がクーデターを起してハワイ王朝を滅ぼした例があり、よく危険を感じなかったものです。欧米と付き合っていく上では宗教は開放しなければ仕方なかったというのはあるでしょう。また、日本はその昔、仏教伝来があり、神教とうまく共存させてきたという歴史があり、日本人の寛容性もありそうです。白石の言うように「全知全能の神?」という疑問がついて、既に神秘主義的なものを脱却している日本では流行らない、と思ったのかもしれません。

 今では日常、キリスト教は教会式結婚式やクリスマスで日本文化の中に融合していますね。クリスマスでチキンを食べるのは日本だけとか聞きましたが、日本風クリスマスを創造したのでしょうかね。



参考文献
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
 「歴史通」WiLL2010.1月号『中国五千年の嘘』宮脇淳子

参考サイト
 WikiPedia「ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ」

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 豊臣秀吉 VS スペイン大帝国  http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/17247440.html

添付画像
 フランシスコ・ザビエル像。17世紀初期に描かれた。神戸市立博物館所蔵。『中公バックス 日本の歴史 別巻2 図録 鎌倉から戦国』より(PD)

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