支那軍の徴兵

 日本に留学していた若い支那の陳登元という青年が祖国へ帰って兵隊にされて日本軍と戦いました。その記録を日本に送り、昭和13年に本になっています。その中に徴兵されたときの様子が書かれています。陳登元君は記録の中では陳子明として三人称の主人公を設定して描いています。



「敗走千里」陳登元著/別院一郎訳・教材社・昭和13年3月(GHQ焚書図書開封3)

 強制徴募による新兵徴募に依る新兵の一人であるということに違いはないが、その徴発された時の事情が少々彼らと違っているということだった。募兵官が町に姿を現し、人狩りを始めたということを聞いて、隠れたのがいけなかった。
 誰か密告したものがあったのだ。
 ある日、五、六人の兵隊が、一人の将校に指揮されてどやどやと、彼の家に店先から踏み込んできた。
「陳子明が日本から帰ってきているはずだ。どこへ隠したのだ。早く出せ!」
 そういうが早いか、八方に分かれて家宅捜索を始めたのである。が、彼らは幾ら探してもムダだった。彼は、祖父母たちがこの家を拵えた(こしらえた)時に、匪賊(強盗のようなもの)に備えて誰にも外部のものに分からないように秘密の地下室を作っておいた。その中に隠れているのだから。
 探しあぐねた兵士たちは、店先にとって返してそこに縛られている父や母をまた責めだした。
「お前たちがあくまで自分たちの息子を庇うというなら、こっちにも考えがある。群集に命じて掠奪させよう。群集はお前たちも周知の通り、家根の瓦から、床板まで剥がして持っていくだろう。無論、お前たちは国家の統制を乱すものとして銃殺だ。・・・どうだ、それでもまだ庇うつもりか」

 近所の人の密告によって地下室があることがバレてしまい、陳君は連れ去られてしまいます。

 支那には戸籍がないので、こうやって募兵官が町に出て人狩りをやっていたんですね。日本の場合は徴兵制があって召集令状が届く仕組みがありました。もちろん当時の日本人だって戦争に行くのはイヤだったのですが、「私」だけではなく「公」の精神を持っており、国家国民のために文句を言わず召集に応じています。

 支那人は徴兵から逃れることばかり考えていますので、これで徴兵されても士気はあがりません。またいつも逃げることばかり考え、便衣を隠し持って戦場へ行ったのでした。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二


広島ブログ クリックで応援お願いします。