支那兵の蛮行

 日本に留学していて支那へ帰国したら徴兵にとられてしまった陳登元君の記録です。陳登元君は記録の中では陳子明として三人称の主人公を設定して描いています。斥候(偵察のこと)に行ったときのことを書いています。


「敗走千里」陳登元著/別院一郎訳・教材社・昭和13年3月(GHQ焚書図書開封3)

 下士斥候は大概の場合、五名か六名だ。それが揃っていざ出発という場合、彼らはにやりと何か意味ありげな微笑を交わす。陳子明の如き、僅か一ヶ月程前から強制徴募されて来た新兵には、その微笑が何を意味するものか、始めは全然判らなかった。
 が、二時間ほどして意気揚々と帰ってきた彼らを見て、新兵たちは初めて、彼らが何ゆえにあの危機極まる斥候を志願するか解った。実に夥しい種々雑多の戦利品をぶら下げているのである。主に時計とか指輪、首飾りと行ったような、小さくて金目のものだが、中には重いほどそのポケットを銀貨で膨らまして来るものがある。
 或る一人の兵が持っていた耳飾の如き、現に、たった今まで或る女の耳にぶら下がっていたものを無理に引きちぎってきたからだろう、血痕が滲んでさえいた。

 斥候は掠奪が目的だったのです。支那軍の場合、敵陣突撃などの危険行動はカネを見せて志願させたりしています。斥候の場合は掠奪が褒美だったということです。掠奪だけでなく強姦や虐殺までやっています。


「で、その女は良かったか?いくつぐらいなんだい?」
「二十ぐらいかな・・・そりゃ好い女よ」
「ふーむ、そんな女が今時分まだこんなところにマゴマゴしているのかな・・・で、そりゃ、どの家だい?」
「そこの橋をわたってよ、クリーク(運河のような水路)について左に行って・・・」と言いかけて張開元は急に警戒し出した。「でもな、その女、もういないよ。南京に行くと云ったから・・・」
 銀貨の男は、そう云う張開元の目をじっと見ていたが、やがて、はっとしたように
「おめえ、まさか、やっちまやしめえな」と云って、ぎゅっと銃剣で何かを突き刺す真似をした。

 「敗走千里」はベストセラーになりましたので、戦前は広く日本人は支那軍とはどんなものか、支那人とはどんな民族かを知っていたのです。しかし、戦後、こういった本は焚書されてしまいました。歴史から抹殺されたのです。そして支那軍の蛮行を日本軍の蛮行に摩り替えられました。日本軍の蛮行と教えられ宣伝されても、歴史を抹殺された日本人は全くウソに気づかなくなってしまったのです。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二


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