南京事件

 1926年7月からソ連の莫大な援助をもとに蒋介石は北京軍閥政権張作霖の打倒を目指した北伐を開始します。翌年2月には漢口、3月には南京に達します。蒋介石は4月に上海クーデターを起こし、南京に国民政府を樹立します。

 3月の南京占領の際に日本領事館は突然、支那兵に襲われます。館内は領事夫妻を始め領事館員の家族や武官、南京市内の日本人が避難していました。金庫はハンマーで叩き壊され、領事夫妻に向かって鉄砲が撃たれました。女性は服を剥ぎ取られ裸にされ金目のものを持っていないか確認され、子供たちは泣き叫び、地獄絵図となりました。領事館に居た荒木大尉一行は武器を持っていなかったため、茫然と見ているしかなく、後に荒木大尉はそれを恥じ「申し訳ない」として自決することになります。
 日本領事館では死者が出なかったので幸いでしたが、英、仏、米の領事館、民間人には死者が出ていました。そのため、揚子江の英の軍艦は南京城内へ砲撃しています。しかし日本の軍艦もいたのに何もしませんでした。なぜなら幣原外交は弱腰で「支那を刺激しないように」という訓令があったためです。幣原外交は「日支友好」「不干渉主義」です。こうした外交は支那の対日政策を増長させていき「ちょっと暴れれば日本は逃げていく」と思われエスカレートしていくのです。

 私たちは歴史の教訓に学ばなければなりません。




参考文献
 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『もうひとつの南京事件の真実』田中秀雄
参考サイト
 日本人よ、誇りを持とう。「親中政策の危険、日中の歴史教訓 」http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/21492483.html


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