大東亜戦争の終わらせ方「西亜作戦」

 日米開戦に際して、昭和天皇が「終戦の在り方は考えないのか」と言われたことから策定された「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」に西亜作戦があります。ペルシャ湾、紅海を制圧し、インド独立軍を支援するものです。
 1941年12月10日マレー沖海戦で英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、レパルスは日本の陸攻機の攻撃を受け沈没。この撃沈の報告を聞いた首相チャーチルは「戦争全体で私に直接的な衝撃を与えたことはなかった。」と回想しています。この状況はこの前の真珠湾攻撃も含めて太平洋、インド洋で日本の連合艦隊が主導権を握ったという状況になったということで、エジプトでの英国の対ドイツ戦闘についてもチャーチルは大変な危機感を覚えたと思われます。

 エジプトではドイツ、英国の死闘が繰り広げられています。地中海は英国のものではないので、アフリカ大陸南端まわりで紅海、ペルシャ湾からエジプトへ補給していました。米国もソ連援助物資を紅海、ペルシャ湾から補給しています。ここを押さえれば英国は降伏、ソ連も降伏していたといわれています。

 1942年4月。連合艦隊機動部隊はインド洋で作戦展開し、コロンボを空襲。英空母ハーミスを撃沈します。ルーズベルトチャーチルも夜は眠れなかったかもしれません。そしてその後、連合艦隊コロンボを攻略し、ペルシャ湾を押さえてまず日本は英国と単独講和・・・とはならずにこの後、米軍の東京空襲やガ島への陽動によってミッドウェーへの作戦展開を行ってしまいます。山本五十六は長岡藩であり、明治政府に恨みがあったためわざと日本が勝たないようにしたのではないかという説を聞いたことがありますが、そういわれる所以はこのあたりにあるのでしょうか。結果、連合艦隊はミッドウエーで惨敗。余裕ができた米国はエジプトへ派兵して英軍は持ち直します。

 日米開戦そのものは米国の策略によって日本は追い込まれて自衛のために立ち上がったわけですが、政府、陸海軍バラバラで目標感なくオールジャパンの戦略を指揮する人がいなかったということが良くわかる話だと思います。
 西亜作戦の話はあまり聞きません。私の解釈も若狭和朋氏の著書が主体であまり情報がありません。ヒトラーが勝ったら恐ろしいか?ヒトラーは独裁者ですがどれくらい悪人だったのでしょうか。



参考サイト:WikiPediaミッドウェー海戦
参考文献:「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著


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