ロシアから支那、朝鮮の領土を守ったのは日本

 1931年(昭和6年)9月18日に満州事変が勃発します。満州は当時、日露戦争によって日本が権益を得ていました。もし、ロシアの侵略に対して日本が戦わなかったら満州朝鮮半島もロシアのものになっていたし、弱体化していた清に攻め込みどこまで侵略したかわかりません。

 1941年12月に思想家、大川周明氏は次のように演説しています。

 1928年、父張作霖の後を継いで満州の支配者となれる張学良は、南京政府及び多年にわたるアメリカの好意を背景として、東北地帯(満州)に於ける政治的、経済的勢力の奪回を開始したので、満州に於ける日本の権益に対する支那側の攻撃は年とともに激化し、排日の空気は全満に漲らんとするに至りました。もと満州に於ける日本の権益はポーツマス条約に基づくものであります。もし当時日本が起ってロシアの野心を砕かなかったならば、満州・朝鮮は必ずロシアの領土となったであろうし、支那本部もやがて欧米列強のまな板の上で料理されてしまったことと存じます。

 日露戦争に於ける日本の勝利はロシアの東洋侵略の歩みを阻止したのみならず、白人世界征服の歩みに、最初の打撃を加えた点に於いて、深甚なる世界史的意義を有して居ります。此の時以来日本は、朝鮮・満州支那を含む東亜全般の治安と保全とに対する重大なる責任を荷い、且つその重任を見事に果たして来たのであります。其の間に如何にアメリカが日本の意図を理解せず、日本の理想を認識せず、間断なく乱暴狼藉を働きかけてきたかは、三日にわたって述べてきた通りであります。

 この当時はこういう認識でしたが、今は日本が侵略しただの悪いように言っていますよね。でも当時の状況に立ち返り、歴史をきちんと整理すれば大川氏の言っていることは正論だと思うのです。日本が支那から満州を奪ったのか?満州支那ではありません。満州満州民族の聖地であり漢民族のものではなかったのです。リットン卿も日本の権益の正当性を述べています。米国は大陸の権益が欲しいのと、ナチスドイツを早期に叩き潰すために日本に嫌がらせをして参戦にもって行き、日本を破壊したのです。そのため赤化が朝鮮半島に押し寄せ、事態を知った米国は大慌てしたのです。大川氏の言うとおり米国は日本の意図を理解せず、日本の理想を認識していなかったと思うのです。


参考サイト
 Wikipedia満州国」「満州事変」「塘沽協定」
参考文献
 「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二


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