世界最高の親日国家インドネシア
2005年の米メリーランドと英のBBCの調査では世界最高の親日国家はインドネシアでした。これには歴史が大きく絡んでいると思います。
「ジョヨボヨの予言」というタイトルで少し書きましたが1942年1月11日に日本軍はセレベス島のナドへの攻撃を皮切りにジャワ島を目指します。スマトラ島では幽閉されていたスカルノ、ハッタ、シャフリールら当時のインドネシアの代表的な指導者を解放します。スカルノは有名ですね。日本ではデヴィ夫人(デヴィ・スカルノ)の夫としてのほうが有名でしょう。
今村均中将率いる陸軍16軍は3月1日にジャワに上陸、9日間で連合国軍を降伏に追い込みます。インドネシア人は日本軍を歓迎し日本軍に協力します。しかし、インドネシア人にとって日本人は未知の存在です。不安もあったはずです。今村司令官は「民心の安定」こそ第一と考え布告第一号を発します。
日本人とインドネシア人は同祖同族である。 |
八紘一宇の精神が濃く現われていますね。圧政方針を唱える人もいたようですが、今村均中将は別の指令が出るなら免職してくれ、と自分のクビをかけてジャワ軍政の基本方針を貫きます。教育改革を行い、師範学校、農学校、医学大学、工科大学を作ります。後に首相となったモハマッド・ナチール氏は「日本軍の命令はオランダ語を禁止し、日本語と日本の唱歌を教え、教練を行うことでしたが、それ以外のカリキュラムは任せてくれませました。そこでインドネシアの歴史とインドネシア語としてバンドンで広く使われているスンダ語の授業を行いました。」と言っています。
日本からインドネシア通の姉歯準平氏が赴任してきてナチールらインドネシア人に独立の必要性を説きます。議会運営をおしえていきます。更に、ペタ(郷土防衛義勇軍)が組織されることになり、日本軍が軍事調練するというものですが、独立後にはインドネシア軍だけで国を守るように言い渡すとインドネシア人は驚いたといいます。外国支配が長かったので自分たちだけで戦えるかという不安、そして日本がここまでしてくれるのは何か魂胆があるのではないか、という疑念もあったようです。
厳しい軍事調練が行われます。その中にはスハルト(後の大統領)も居ました。このときスハルトは土屋中尉の指導をうけ、中尉に感銘をうけ、大統領就任後初来日した際に土屋中尉を探すよう依頼して20年数年ぶりの再会を果たしています。
1944年9月、それまで禁止していた国旗と国歌を許可。1945年3月には独立準備調査会を設置。共和制の採択、憲法の草案などが話し合われました。8月9日独立を決定。19日には独立宣言を行う予定でしたが、突然、日本軍が降伏してしまいます。独立宣言を予定より早めて17日に行います。
インドネシア独立宣言
われわれインドネシア民族は、ここにインドネシアの独立を宣言する。 権力の譲渡、その他に関する事項は、周到かつ迅速に処理される。 |
参考サイト:WikiPedia「インドネシア」
参考文献:「世界が愛した日本」四條かな子著
「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二著