ビルマの夜明けへ

 1940年11月23日タイとフランス植民地軍との国境紛争が勃発。当初攻勢だったタイ軍でしたが、フランスが重火器を導入し、一転劣勢となり押し捲られます。ここで日本が仲介し、1941年5月8日に東京条約を結びタイはラオスメコン川右岸及びカンボジアバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得します。このとき日本はタイでの無害通行権を得ています。
 1941年12月8日、日本は連合国へ宣戦布告。(タイは翌年1月25日に連合国へ宣戦布告)開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手します。12月15日ビクトリアポイント(現在のコートーン)を占領。12月28日タイのバンコクビルマ人を集め「ビルマ独立義勇軍」を結成。年明けに日本軍はタイから国境を越えタボイ、トングーへ入りラングーンへ向けて進撃し、3月8日首都ラングーンを占領します。政治犯として刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、彼を行政府の長官に就任させます。


ビルマ初代首相タキン・ヌー氏
ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した。」

ヤンゴン大のタン・タット歴史学教授
「神のごとく振舞ってきた英国人が青ざめ、逃げ惑うのは見ていて痛快だった。彼らの手先だったインド人がご主人様の顔色に敏感に反応して、まるで沈没する船から逃げ出すネズミのように群れを成してベンガルに逃げ出していった」

 1943年(昭和18年)8月1日。ビルマは独立宣言します。
 外相に就任したウー・ヌー演説
「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」

 ビルマは英国が独立させたわけではありません。日本です。あつかましい英国が1948年に独立させたとほざいているだけです。

バー・モウ「ビルマの夜明け」
 真実のビルマの独立宣言は1948年1月4日ではなく、'1943年8月1日'に行われたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、「東條大将」と「大日本帝国」であった。



参考サイト
 Wikipedia「東京条約」「タイ・フランス領インドシナ紛争」「ビルマの戦い」
参考文献
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
 「歴史通」WiLL別冊7月号


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