ビルマの独立への思い

 バー・モウ著の「ビルマの夜明け」を買おうと思ったら古書で9,000円もするのでビックリ。買うのはあきらめました。

 英国の植民地となったビルマでは1905年の日露戦争の映画が上映されていました。そうですね、日本と英国は同盟国だったのですから上映されていても不思議はありません。

 ヤンゴン大のタン・タット歴史学教授が大東亜戦争の頃のビルマを語って
ビルマ人はとっくに日本人を知っていた、なぜなら日露戦争の実写映画を見ていた。英国が日英同盟の誼(よしみ)から上映したのだろうが、ビルマ人の受け止め方は違った。小さな日本人が大きな白人をやっつけていた」

「日本でパイロットを目指すビルマ青年が飛行機を操縦してラングーンの空を飛ぶ。あのシュエダゴンパコダの空を」(昭和10年日本の映画「にほんむすめ」東映
「飛行機は特別の意味があった。白人の力の象徴だった。それをビルマ人が操縦する。それだけで驚きだった。日本人が喜んで教える姿も驚きだった」

 1941年10月、ビルマ首相のウー・ソウはロンドンにチャーチル首相を訪ねて独立交渉をしますが、チャーチルに冷たくあしらわれます。今度は米国へ行き、F・ルーズベルトに会いに行きます。しかしそこでも失望させられます。英米民族自決、国民の望む政府という理想に満ちた大西洋憲章に有色人種を適用する考えはありませんでした。
 ウー・ソウはラングーンに帰る途中、偶然にも乗り継ぎのハワイで日本軍の真珠湾攻撃に出くわすことになります。日本の力をその目で確認したウー・ソウはとって返し、ポルトガルリスボンに入ります。(ポルトガルは中立国)ここから彼の行動は日本の外務省の記録に残っています。

 12月31日午前、ビルマ首相ウー・ソウが密かに大使を来訪せり。ハワイより引き返して大西洋を経て当地着。帰国のための飛行機待ち合わせの間を利用して苦心来訪せる趣なり。その申し出は左の如し。
 今やシンガポールの命運旦夕に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約せらるるにおいてはビルマ満州国のごとく日本の指導下に立つ国として日本とともに英国勢の駆逐にあたり、また、日本の必要とする資源は悉く提供するの用意あり。

 とてつもない話です。英国を裏切るのもそうですが、日本を信じきっている。それは真珠湾攻撃を見て思い立ったというだけでなく、それまで日本をずっと見てきておりどのような国かどのような国民性かを知っていたのではないでしょうか。
 残念ながら日本の外交暗号電文は連合国に解読されウー・ソウはナイロビに着いたところで英国に逮捕され監禁されます。この事件を知ったF・ルーズベルトチャーチルへ手紙を送っています。

「私はビルマ人が好きではありません。あなた方もこの五十年間、彼等には随分手を焼かれたでしょう。幸い、ウー・ソウとかいう彼らの首相はいまやあなた方の厳重な監視下にあります。どうか、一味を一人残らず捕らえて処刑台に送り、自らのまいた種を自ら刈り取らせてやるよう、願っています。」

 ウー・ソウは逮捕されましたが、その願いは実現することになるのです。



参考文献
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
 「歴史通」WiLL別冊7月号


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