英国の侵略をうけたビルマ

 19世紀当初、ビルマ(現ミャンマー)は清国を宗主国としていました。しかし、英国の侵略を受けます。1824にビルマ戦争の火蓋が切って落とされます。清国は援軍を出し、ビルマ軍とともに英国と戦いますが、敗れ領土の一部をとられてしまいます。
 1852年、さらに英国は侵略を開始し、ビルマは再び清国に援軍を要請しますが、英国はフランスを味方にして天津攻略などを行い、清をかく乱しており援軍どころではない状況になっています。実に狡猾な英国のアジア侵略が見えてきますね。そしてビルマは無残な結果となります。1885年にはビルマ国王シーボウは降伏し、幽閉されることになります。英清条約によって清国はビルマから切り離されてしまいます。1886年ビルマは英国領であった英国領インドに併合されてその1州となってしまったのです。
 これよりビルマでは暗黒の時代に入ります。公用語は英語になり、ビルマの民族衣装ロンジーは侮蔑され、ビルマの伝統的教育を解体されます。ごく一部のビルマ人のみ教育を受けることができ、あとのビルマ人は白人のよき下僕となることが良いこととされ扱われるようになります。日本は明治時代の頃です。

 昭和の時代になり、このビルマを救ったのは言うまでもなく日本です。


参考サイト
 Wikipediaミャンマー
参考文献
 「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著


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