苦しんだ果ての証言 - 渡嘉敷島

 渡嘉敷島の集団自決について照屋昇雄さんが証言しています。戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人です。座間味と同じようにやはり援護法に基づく年金や弔慰金の支給が絡んでいました。同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上し、村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得、照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出しました。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったといいます。
 平成18年の証言映像では照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話しています。


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沖縄戦渡嘉敷島『集団自決』の真実」曽野綾子著より

 昭和四十五年三月二十六日午後五時過ぎ、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺族十数名は大阪から、二十八日に渡嘉敷島で行われる「二十五周年慰霊祭」に出席のためやって来た。
 午後五時、赤松元大尉は、黒のレインコートにショルダーバッグをかけ、清酒一本を下げて軽々と日航機から降り立つ。彼が入域手続所でカメラマンに囲まれながら歩いている間に、空港エプロンに集まっていた抗議団は「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤松来県反対」の横断幕をエプロンにはりつけた。
 やがて赤松元大尉の耳にも、シュプレヒコールが聞こえる。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」
 聞こえてくるのはシュプレヒコールばかりではない。
「今頃沖縄に来て何になる」
「県民に謝罪しろ」
「おまえは沖縄人を何人殺したんだ!」
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 照屋昇雄さんの話だと赤松隊長は島民から神様のような人といわれており、照屋昇雄さんもそう感じたと言っています。昭和四十五年三月、赤松隊長は「この問題はいろんなことを含んでいるのでソっとしておいてほしいと言ったはずだ」と那覇で述べています。



参考サイト:http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0608/web-news0827-1.html
参考文献:「沖縄戦渡嘉敷村『集団自決』の真実」曽野綾子


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