幕末期の暦と時刻の違いによる混乱

江戸時代は太陰暦不定時法だった。




 現在の日本の暦は太陽暦を使っていますが、江戸時代は太陰暦を使っていました。月の満ち欠けの周期を1ヶ月とする暦法です。十五夜お月様はちょうど15日になります。太陰暦では1年が354日になるため、閏年をはさんでいました。また季節周期を一致させるため、1年を24等分する二十四節気を併用しています。「立春」とか「夏至冬至」などですね。
 暦は当初、朝廷が作製しており、宣明暦が使われていましたが、貞享元年(1684年)に貞享暦へ移行しています。その後、暦の作製は幕府が実権を持つようになり、宝暦暦、寛政暦、天保暦と改暦されました。

 幕末に西洋人がやってくるようになると、西洋では太陽暦ですから、両暦を変換して日を合わせて会談など行う必要が出てきます。これでイギリスとの条約の批准でちょっとしたトラブルが生じています。

 西暦1859年7月11日(月)
 安政6年6月12日

条約の批准交換を西暦の7月11日に行うことになったのですが、日本側の奉行と通訳が10日の夕方にイギリスの公使オールコックに会いにいき、通訳の森山が批准交換を月曜(7月11日)と勘違いして、それで諸事手配したので11日に早めて欲しい、と願い出たのです。実際11日で正解なのですが、日本側は12日が正解だったと勘違いしました。オールコックもまた11日だと外務省宛には報告していたにも拘らず、このとき12日が批准交換の日だと勘違いして11日に早めるのなら「今晩中に将軍名の批准書を用意することの保証」を求めました。つまり西洋歴11日と和暦12日で双方が勘違いし、トラブルとなったわけです。

 休日も西洋と合いません。1週間があり日曜日は休みの日とするのが西洋で、日曜日はキリスト教でいう安息日です。日本は太陰暦の1日と15日に休みます。日曜日は意識しませんから、日曜日でも西洋人に会いにいきます。アメリカ総領事のハリスは日曜日でも日本の役人がやってくることを日記に次のように書いています。

「日本人が私に会いにくる。日曜日は、誰にも面会を謝絶する。安息日には、あらゆる用務や慰楽を断って、その日の真正な宗教上の慣例をつくることに定めている。とは言え、静かに散歩したり、又はそういう種類の娯楽をやらないというのではない。ピューリタニズムの模範をしめす気はないが、日曜日を、その日が意味するところの日 − すなわち休息の日としたいからである」

 時刻も日本と西洋では異なりました。江戸時代の「時刻」は太陽の動きを基準とした不定時法が採用されていました。日の出が「明け六つ」、日暮れを「暮れ六つ」と定めて昼と夜とをそれぞれ六等分し、その長さを一時(一刻 いっとき)としていました。夏は昼の時間が長く、冬は夜の時間が長くなります。ですから、夏の昼の「一時」は冬の昼の「一時」よりも長いわけです。江戸時代の人々は他の動植物と同じように自然のサイクルで生活してわけです。

 西洋は定時法、つまり現在の我々と同じですから、幕末に来日した外国人とのやりとりの中で不定時法の江戸日本と時間の面でうまく合わないことがおこります。当時は交通も発達していませんから、今ほど時間に厳密ではなかったと思いますが、やはり西洋人にとって時間感覚の違いというのは意識されていました。イギリスの外交官アーネスト・サトウ文久2年(1862年)8月15日来日)が、外国奉行の招待を受けたときの回想で時間の違いについて触れています。サトウは奉行と挨拶と進物のやり取りをした後、次々と到着する客の挨拶を受けますが、これにゆうに一時間はかかるし料理が出てくるのにもたいそう時間がかかります。家人は質素な料理しか作らないので、料理は料理屋から取り寄せているのが一つの理由ですが、時間の違いについても理由としています。

「当時の一般の人々は時計をもたなかったし、また時間の厳守ということもなかったのである。2時に招かれたとしても、1時に行くこともあり、3時になることもあり、もっとおそく出かける場合もよくある。実際、日本の時刻は二週間ごとに長さが変わるので、日の出、正午、日没、真夜中を除けば、一日の時間について正確を期することはきわめてむずかしいのだ」

当時、お寺で「一時」ごとに時刻を知らせる鐘が鳴らされていましたが、季節により変動し、鐘が鳴る間隔である「一時」(約2時間)の間での細かい時刻などさほど意識はしていなかったようです。江戸日本人は1時も2時も3時も昼八つ羊刻という感覚だったのでしょう。

 そして明治に入り、日本は西洋式の暦(グレゴリオ暦)にあわせることになりました。明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(1873年1月1日)としたのです。




参考文献
 講談社「江戸時代の天皇藤田覚(著)
 中公新書オールコックの江戸」佐野真由子(著)
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著) / 山口光朔(訳)
 岩波文庫「ハリス 日本滞在記」坂田精一(訳)
 岩波文庫「一外交官の見た明治維新」坂田精一(訳)
 河出書房新社「江戸の庶民の朝から晩まで」歴史の謎を探る会(編)
 双葉文庫「時代小説 江戸辞典」山本眞吾(著)
添付画像
(上)渋川春海(貞享暦の作成者)作の地球儀。1695年製。(下)渋川春海作の天球儀。1697年製。ともに重要文化財。(国立科学博物館の展示) Auth:Momotarou2012(CC)

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