B層の研究

B層とは何ぞや。



 「B層」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。昨年末、ネットニュースで紹介していたので、適菜収(てきなおさむ)氏の「B層の研究」を読んでみました。読んでなるほど、これは面白いです。では「B層」というのはどういう人たちか?以下定義です。

「マスコミ報道に流されやすい「比較的」IQ(知能指数)が低い人たち」

 また、B層は次のようにも言い換えることができるといいます。

「近代的諸価値を盲信するバカ」

平等主義や民主主義、普遍的人権というのを信じ込んでいる人達で、彼らは新聞を丹念に読むし、テレビニュースも熱心にみます。そして自分たちが合理的で理性的であることに深く満足します。その一方で歴史によって培われてきた「良識」「日常のしきたり」「中間の知」を軽視しますので、近代イデオロギーに容易に接合されます。

「改革」「変革」「革新」「革命」「維新」といったキーワードに根無し草のように流され、彼らは、権威を嫌う一方で権威に弱い。テレビや新聞の報道、政治家や大学教授の言葉を鵜呑みにし、踊らされ、騙されたと憤慨し、その後も永遠に騙され続ける存在がB層なのだそうです。

$かつて日本は美しかった
適菜氏著書よりJJ太郎が新たに作成

 「B層」という言葉は適菜氏の造語ではなく。平成17年(2005年)9月の郵政選挙の際、自民党が広告会社スリードに作成させた企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(安)」による概念です。この企画書は有権者をA層、B層、C層、D層に分類して構造改革に肯定的でかつIQが低い層」「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクタ−を支持する層」をB層と規定しています。

 郵政総選挙のときは「改革なくして成長なし」「聖域なき構造改革」と「改革」を全面に押し出し、B層を刺激したわけです。「郵政民営化に賛成か反対か」「改革派か抵抗勢力か」と二元化して、普段モノを考えていない人々の票を集めました。小泉自民党はマーケッティングの手法によって選挙で圧勝したわけです。

 3年半前の総選挙を思い出すと、政治専門ではない一般ブロガーが選挙のことを語っているのをいくつか見ましたが、「変わらなきゃ」「グローバルだし」という言葉が見られました。「変わらなきゃ」は「改革」という琴線に触れたということで、グローバルは「東アジア共同体」なるEUイメージの近代的価値観に触れたということでしょう。B層が動いて政権交代が実現したわけです。しかし、政権交代後、B層は「騙された」と憤慨していったのです。民主党に騙されただけではなく、マスコミにも騙されたのですが・・・

 マスコミはまったく無責任で、民主党政権末期には「期待はずれ」「自分たちも騙された」というような言いっぷりでした。3年半前の総選挙のとき、民主党の公約には「子供手当て26,000円」「予算を組み替えて16兆円捻出」というのがありましたが、政治通であればそんなの実現は無理というのは当然わかっていたはずで、マスコミはたいした検証せず、また外交・安保にビジョンがないことはわかっていたのにスルーして「政権交代」を煽りました。今更「期待はずれ」「騙された」はないでしょう。

 昨年末の総選挙では脱原発がB層の琴線に触れるような話題で、民主党自民党との差別化のために「脱原発」を叫び、未来の党も「脱原発」を叫びました。しかし両党既に国民から見放されていたのと、「脱原発」は一時、マスコミによって熱を帯びて騒がれたものの、冷静になってくると電気料金の値上がりや産業空洞化などを招き、雇用問題が発生するなど、現実を見なければならないことがわかってきました。総選挙のときは既に「脱原発」は賞味期限切れで、B層は見向きもしなかったということです。私は“みのもんた”氏の政治トーク番組を何度かみましたが、みのさんが何かと「わかりやすさ」をコメンテータや政治家らに訴え、「原発は?」と話題をしきりに振っていたと感じましたが、これはB層へ向けて争点を単純化し、「脱原発」を印象付けようとしたのでしょう。みのさんは、民主党の接待を受けていたようですが・・・
 適菜収氏は、B層は政治は素人なのに「分をわきまえる」「身の程を知る」「恥を知る」「一歩下がる」といった日本人本来の美徳が失われてきている中で、何かと参加したがり、プロ、職人の領域に<素人の意見>を押し付けようとしていると述べ、そろそろ目を覚ますべき、と提言しています。そして今求められているのは過去と未来に責任を持つ人間、正気を保っているプロ、職人であるとしています。



添付画像
 講談社「日本をダメにした B層の研究」適菜収(著)

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