横の民主主義と縦の民主主義

日本には伝統的な民主主義があった。


 イギリスの小説家、評論家であるG・K・チェスタトン「民主主義において現在生きている人々の意見を取り入れる民主主義を横の民主主義という。それにたいして、死んだ人々(=祖先)がどのように考えるかを考慮に入れる民主主義が、縦の民主主義である」と述べています。日本人は「ご先祖様に申し訳ない」「おじいちゃんが生きていたらなんと言うか」「おやじが生きていたらどうしただろう」というようなことをよく言い、死者の視点でものを見ようとします。日本には伝統的に縦の民主主義があると言えるでしょう。

 江藤淳
「生者だけが物理的に風景を認識するのではない。その風景を同時に死者が見ている。そういう死者の魂と生者の魂との行き交いがあって、初めてこの日本という風土、文化、伝統が成立している」

 柳田國男
「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠くへは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」

 日本人は死者の魂と共生しているのです。正月にはご先祖の霊が歳神様となって家にやってきて一緒に過ごします。お盆が来れば迎え火を焚いて子孫はここにいますよとお報せしてお供え物してご先祖様と対話し、心を通わせます。

 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」で有名な「葉隠」に次の一節があります。

「義より上に道はあるなり。これを見付こと容易に成りがたし。高上の叡智なり。これより見る時は、義などは細きものなり。こはわが身に覚えたる時ならでは、知れざるものなり。但し我こそ見付くべき事成らずとも、この道に到り様はあるものなり。そは人に談合なり。たとへ道に至らぬ人にても、脇から人の上は見ゆるものなり。碁に脇目八目と云うが如し。念々非を知ると云うも、談合に極るなり。話を聞き覚え、書物を見覚ゆるも、我が分別を捨て、古人の分別に付く為なり。」

 「正義」という分別に対して自分の信じる正義が確認され、実証されるためには、第三者の判断まつという民主主義の原理が入っています。「談合」というのは人と話し合うことです。「古人の分別に付く」というのは過去の人の考えに従うということで、ここに横の民主主義と縦の民主主義が見てとれます。

 日本には伝統から生まれた横の民主主義、縦の民主主義があったのです。縦の民主主義は神の代まで行きつきます。
 現代人はとかく「今だけ、自分だけ、カネだけ」に陥りやすくなっていると思います。家庭では、ご先祖の霊をお迎えし、対話する。そして自分を見つめなおす。靖国神社へいき、公に殉じた英霊に感謝申し上げ、英霊が今の日本を見たら、どう思うかを考え、自分が公に奉仕するには何ができるか、どのような心持でいればよいかを考える。日本のよき伝統に従いよい家庭、よい国造りに励みたいものです。



参考文献
 WAC「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一(著)
 小学館「明治人の姿」櫻井よしこ(著)
 小学館天皇論」小林よしのり(著)
 新潮文庫葉隠入門」三島由紀夫(著)

添付画像
 富士山 JJ太郎撮影(PD)

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靖国神社の歌
http://www.youtube.com/watch?v=MpQB5qck5uQ