白洲次郎は傲慢な人だったのか

白洲次郎とは。


 テレビドラマになりましたので、白洲次郎の話は随分と知られているでしょう。戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗しました。
 育ちのいいボンボンで学校へ行っていた頃は成績表に「やや傲慢」「驕慢(きょうまん)」「怠惰」と書かれ、喧嘩っ早く、実家では謝罪に持っていく菓子折りが自宅に常備されていたといいます。中学時代の友人である作家の今日出海(こん ひでみ)氏は「育ちのいい生粋の野蛮人」と呼んでいました。

 白洲次郎は人を見るときにまず威嚇して相手の反応でその人間の器を見るという妙なクセがありました。古美術評論家の青柳恵介氏は骨董店の新社屋が完成したパーティで「私は白洲次郎に睨まれた」と書いています。

「そのときに私は誰かの強烈な視線を感じたのである。四、五メートル離れた場所から白髪で長身の紳士が『この若造』という感じで私を睨んでいる。私は身がすくむ思いがした」「老紳士の眼(がん)の飛ばし方は尋常なものではなかった。帰りの車の中で祖父に聞くと『あれが白洲次郎さんだよ』と言う」

 ところがその後10年して、青柳氏が白洲宅に次郎の妻、正子さんを訪ねたときは次郎から正宗白鳥って偉いんだろう」と聞かれ、小林秀雄があれだけ尊敬していたもんな」とつぶやき、以前の眼(がん)を飛ばされたときの印象とは全く異なり、純朴な魂に触れた気がしたと述べています。

 白洲次郎がドイツ系ユダヤ財閥のウォーバーグ家より、クリストファーという日本投資のエキスパートの世話を頼まれ、軽井沢のバーで会うことになったときのことです。クリストファー氏が待ち合わせの時間に2分ほど遅れてくると次郎はいきなり「You are late!」と怒鳴り、あまりの剣幕にクリストファー氏は顔面蒼白になり、あわてて謝ると次郎は「日本では約束の時間の10分前には着いておくものだ」とアドバイスしました。

 女性に対しても容赦なく、ウォーバーグ家のパーティに訪れた駐日英国大使館の外交官フィリダ女史と初対面でいきなり「お宅の大使館は全然仕事していないな」と言い放ち大喧嘩になったといいます。フィリダ女史の必死の反論を次郎は気に入り、三宅一生のスカーフなどプレゼントしてくれるようになりました。後に、次郎は前述のクリストファー氏とフィリダ女史をくっつけようと画策し、見事成功しました。

 傲慢なところもありますが、一旦相手を気に入るととことん世話焼きになる、そんな感じでしょうか。

 若い頃のエピソードです。セール・フレーザー商会の取締役をやっていたとき、失敗をして取引先の重役にお詫びにいくと、その重役は「馬鹿野郎、謝ってすむことか!」と激怒し、蓋の開いているインク壜を投げつけられたことがあります。次郎は白のスーツを着ており、白地に青いインクが無情に広がってしまいました。(我慢だ!)と自分に言い聞かせ直立不動で頭を下げ続けました。その後、しょんぼりして帰社の途につき、事務所の前まで来ると「ご注文をいただきにきました!」洋服屋とワイシャツ屋がやってきていたのです。さっきの取引先の重役がよこしたのです。結局まったく同じスーツを作ってもらいました。そして次郎は感謝の気持ちでいっぱいになったといいます。こうした経験などが次郎の「威嚇して相手の器をはかる」そして「気に入ればとことんかわいがる」というスタイルになり、それはがっちりと相手の心を掴む”戦術”だったのかもしれません。



参考文献
 講談社文庫「占領を背負った男」北康利(著)
 新潮文庫「英国機密ファイルの昭和天皇」徳本栄一郎(著)
 河出書房新社白洲次郎」『白洲次郎さんの目差し』青柳恵介

添付画像
 白洲次郎(動画より)

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【伝記】 白洲次郎マッカーサーを叱った男 Part.1
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【伝記】 白洲次郎 〜 苦渋を舐めた憲法づくり Part.2
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【伝記】 白洲次郎 〜 戦後復興への挑戦 Part.3
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