大地震・徒歩で帰宅

地震津波で亡くなられた方に心より哀悼の意を表します。また、被害に遭われた方、避難されている方、心よりお見舞い申し上げます。


 遂に来るべきときが来たか!・・・昨日の地震のとき、私は東京新橋に居ましたが、あの激しい揺れに、とうとう東海大地震がやってきた、と思いました。

 公園に避難しました。みんな、家族の安否を気にしていましたが、携帯がつながりません。「171」という伝言システムがありますが、「使い方がよく判らない」という声が聞かれました。私はPHSなので家族にすぐ連絡がつきました。

 業務がストップとなり、帰宅可能となりましたが、何しろ交通機関がストップしています。ネットで復旧の目処を見ましたが、目処たたずということで、午後7時には徒歩帰宅を決意し、「震災時、帰宅支援マップ」で帰路を確認し、出発。日比谷通りから桜田通り、中原街道へ抜けました。車は大渋滞です。

教訓
 ・PHSは震災時に強い。
 ・携帯は使えないし、119などの緊急コールができなくなるので、使わないほうが良い。
 ・171の使い方を知っておく。(音声ガイダンスに従えばよいだけ)
 ・「震災時、帰宅支援マップ」を常時カバンの中に入れておいて正解。
 ・車は使わないこと。使っても渋滞で動かない。緊急用車両通行の妨げになる。


 車が渋滞なら人も大渋滞。桜田通り沿いの「幸福の科学」が熱いお茶の提供やトイレの貸し出しをやってくれていました。非常に風が冷たい夜で、中原街道では町内会の人が軍手を配っていました。雪谷大塚のアルプス電気でもトイレの貸し出しをやっており、小さなコーヒー店でも沿道に机を出してコーヒーを無料提供していました。「トイレ貸します」と張り紙をしているお店もありました。学校も開放しており、先生かPTAの人が世話をしていました。大変ありがたいご支援、感謝申し上げます。

 綱島街道を行くうち東横線が走っており、乗客が乗っているのが見えました。徒歩約17Km、股関節は痛くなり、ふくらはぎが腫れてきており、これで助かりました。電車からバスに乗り継ぎ無事帰宅。バスも臨時便だったのか無料にしてくれました。東急電鉄の皆様の懸命の復旧作業と東急バスのお心遣いに感謝申し上げます。

 家の中は無事で被害はありませんでしたが、私の部屋は積んでいた本などが四散し、ゴルフバッグが倒れ、コロのついたキャスターと鏡が大きく移動していました。食器棚、本棚、テレビ、パソコンなどは転倒防止策を施していたので転倒を免れたのかもしれません。

 本日は肩と足が痛く、ゆっくり静養しております。

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