朝鮮人の暴動をデマにした政府 〜 関東大震災

朝鮮人暴動をデマに仕立てたのは政府の仕業。


「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力ずくで押しつぶせば、彼らとてそのまま引き下がらないだろう。必ずその報復が来る。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあったら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね」

 これは大正12年(1923年)9月の関東大震災にあたり、後藤新平内務相が警視庁・正力松太郎官房主事に語った話をベースボールマガジン社の池田恒雄氏が裏話として語ったものです。政府は9月5日には不逞朝鮮人襲撃報道を打ち消すことにやっきになり、自警団は武装解除するよう指導していきます。
 
「鮮人暴動は流説 戒厳令司令部好評」報知新聞 大正12年9月5日
「三大緊急勅令 流言浮説取締令 公布」大阪朝日新聞大正12年9月7日
「斉藤朝鮮総督談 鮮人の爆弾、実は林檎 呆れた流言蜚語」東京日日新聞 大正12年9月8日
「多数鮮人中に多少不逞の徒があったのは事実で是又遺憾に堪へない併しながら朝鮮人が皆悪いのではない 鮮人も皆是れ陛下の赤子ではないか 今回の出来事からして或は治鮮方針に何等かの変化がありはせぬかと想像するものがあるやうだが統治方針は断じて変更せぬことを得に明言して置く」朝日新聞 大正12年9月15日

 不逞朝鮮人が門柱、板塀などに奇妙な記号をつけてテロ攻撃のための目印にしているものがありました。12a,2p,1B,W3,け,◎・・・これを警視庁は中央清掃会社(糞尿処理会社)の人夫が得意先の心覚え及び便所所在地の方向、個数等の符号に用いた、と発表し、宣伝ビラを各警察署館内に貼り付けました。
 こうした政府の対応に不満を示したのが、政治結社黒龍会内田良平でした。このような政治決着はかえって後世に禍根を残すと主張します。この不逞朝鮮人の奇妙な記号については早速調査し、いわゆる汲み取り屋の社長より「清掃人夫はそれぞれ得意先の所番地と便所の数を書いた伝票を所持しているので、むやみにこのような符号を書きなぐる必要はまったくない」と証言を得ます。内田良平社会主義者と不逞朝鮮人が計画的に動いていたことを把握していました。

黒竜会の罹災者救済運動の顛末と政府の態度批判 大正12年09月11日
「赤化主義の鮮人が内地における社会主義者の一派とゴウ息気脈通じて日本において破壊活動を逞うせんとする計画は決して今日に始まったことではない」
朝鮮人社会主義者が互いに相策応して、破壊運動を逞し、或いは重油庫、火薬庫を襲い、或いは爆弾を投じて火災をおこし、或いは毒薬を井戸に投じて老若男女区別なく之を毒殺せんとし、自警団を襲撃した暴挙は掩う(おおう)可らざる事実であること」
「以上の事実と同時に鮮人の暴挙に対し激昂しつつある国民がその現場を目撃してこれを撲殺したということは事実であること」

 事実を捻じ曲げてでも行った後藤新平の政策、報道コントロールは、三・一運動が法的に公正に処理されたのに加え、この関東大震災時の朝鮮人保護が、抗日派を親日派に転向させることにつながっているかもしれません。しかし、後藤は22年後に日韓が分かれるなどと想像すらしていなかったでしょう。戦後は内田良平が「後世に禍根を残す」と懸念したとおりになりました。



参考文献
 「関東大震災 〜 朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子著
 「関東大震災吉村昭
参考サイト
 国立公文書館
  黒竜会の罹災者救済運動の顛末と政府の態度批判
    http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSearch.cgi
 【実録】 関東大震災 不逞鮮人暴徒化
   http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2
 【実録】 続・関東大震災 不逞鮮人暴徒化 
   http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%C2%B3%A1%A6%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2

添付画像
 関東大震災の犠牲者の遺骨の山(PD)

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