手榴弾を持っていた民間人 〜 沖縄戦



 大東亜戦争沖縄戦ひめゆりの手記などを読んでいると手榴弾を持っていたことがわかります。陸軍病院に勤務していなかった福地という生徒が兵隊と一緒に避難してきて二個の手榴弾を示し「覚悟はきめております」と、他の学友といっしょに死なせてくれという嘆願が手記に書かれています。この後、13名で3個の手榴弾を持っていることが書かれており、他にも手榴弾があったことが伺えます。他の記録では9人で手榴弾2個で自決の話し合いをしており、その場にいた下士官があわててカンパンと交換で取り上げた話などがあります。ひめゆりの場合は軍属なので、傷病兵や軍人からもらった可能性があります。米兵の証言を見ておりますと、老婆が米軍の手榴弾を投げつけてきたというのがあり、おそらく米兵の死体からとったものと思われます。日本兵の死体からも入手できたでしょうから、手榴弾の入手はさほど困難ではなかったと思われます。
 
 集団自決のあった渡嘉敷島ではせまい島内なので簡単には入手できないはずですが、生き残りの人の証言の中に「父が阿波連の区長を知っていたので特別に渡されてですね」と述べており、手榴弾がいくつか集められていたことがわかります。赤松大尉や連下氏の証言では民間人には手榴弾は配っておらず、防衛召集兵に2個づつ渡しており、彼らが家族に渡したのではないか、と述べています。皆本大尉の証言によると防衛隊は普段は自宅にいるが、自決のために渡したのではないだろう、と述べています。いずれにしろ、手榴弾は手に入りやすい状況にあったといえます。ブロ友の話では下士官が手榴弾を渡した証言がある(おそらく富山証言※1)とのことで島民との交流状況によってはそういうこともあったかもしれません。当時はマサダの丘の価値観で自決は尊厳ある死でしたし、フィリピン人数十万を虐殺した米軍がやってくるのですから、パニック状況だったでしょう。手榴弾を渡してあげたほうが「情け」であり、切望しても渡さないのは「非情」になります。ここのところは現代の価値観とまったく異なるので注意が必要でしょう。
 
 しかしながら、本来、軍人からすれば戦陣訓「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」は民間人には関係なく、民間人が自決するなどとは違和感を覚えたはずです。これは座間味島の集団自決で民間人が自決のための爆薬を求めにきたとき断った梅澤隊長の言葉の中によく表れています。「今時この島の人々は戦国落城にも似た心底であったか」と愕然としており(梅澤手記)、「あなた方は恐れ多くも天皇陛下の赤子である。何で命を粗末にするのか。いずれ戦争は終わる。村を復興させるのはあなた方だ・・・」と述べています。(宮平証言)
 また、サイパンで民間人が自決したのは大きな衝撃であったはずです。このためテニアンでは角田司令官が陣地作りを協力してくれた民間人を回り、「みなさんは民間人ですから、軍人のように玉砕しなくてもいいのですよ」と説いて回っています。沖縄戦では軍は民間に命令する権限はありませんでしたが、もし道義的観点で渡嘉敷、座間味で集団自決防止の配慮が足りなかったと考えるなら、サイパンテニアンの事例があったのに防止策を講じなかった点でしょうか。しかし若干二十代の青年将校に対してここまで求めることはできるでしょうか。赤松隊長はこの点は悔いており「住民を自決から救えなかった手抜かりは私も十分に責任を感ずるところである。旧軍人として心から反省する」と回想しています。
 
 最近では琉球新報の記事などを見ると「軍関与」という言葉が見られます。おそらく「軍命令」という明確なものが存在しないため、諸事実、たとえば手榴弾を渡した証言があるというようなものを「関与」として論点を少しずらし、それ自体が命令のようなもの、あるいは「不作為の責任」があるという方向になってきているのでしょう。ここまでやって何になるのでしょう。強制的に自決させられたという死者への侮辱、日本を守るために命をかけて戦った軍人の名誉を傷つける行為。このようなことをやってあの時、あの場にいた誰か(死者を含め)が幸せになるのでしょうか。私にはそうは思えません。これは死者を神仏とする日本人の考え方ではありません。ある種のイデオロギーによる屈折したエゴイズムとしか思えないのです。


※1 富山証言
 渡嘉敷の集団自決について兵器軍曹が非戦闘員(17歳未満の少年と役場職員)に手榴弾を渡したという証言。しかし、本人が代筆した援護法の現認証明書には「防衛隊員と青年団員に渡した」(戦闘が期待できる者)となっており、食い違いが見られる。


参考文献
 「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善
 「ドキュメント沖縄1945」毎日新聞編集局 玉木研二
 「『集団自決』の真実」曽野綾子
 オークラ出版「沖縄とアイヌの真実」『渡嘉敷集団自決軍命令はなかった』皆本義博/但馬オサム
 「歴史街道」2008.8『抗命の罪はこの角田が負う テニアン島で最後まで闘志を失わず』野村敏雄
 「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」秦郁彦
   『宮平秀幸陳述書』
   『集団自決問題の真実』秦郁彦

文中の琉球新報の記事
 軍関与記述復活を 歴博に高嶋琉大名誉教授 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162012-storytopic-153.html

参考映像
 アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊 (Okinawa)】第二次世界大戦
 http://www.youtube.com/watch?v=kBVdLPXRZLo

添付画像
 渡嘉敷島(米軍が撮影したものと思われる PD)
 
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