ひめゆり証言疑問の回答

 先日、琉球新報の記事に疑問を抱いたので、ひめゆり館にメールし、ひめゆり隊の方からお返事いただきました。以下簡略化して書きます。

<1>
沖縄新報>陸軍病院で負傷兵の看護に当たり、飛び交う砲弾の中で水や食事を調達したことを紹介。「日本兵に『沖縄を守るためにやって来たのだから、兵のために飯を探して来い』と言われ、手榴(りゅう)弾を投げられそうにもなり、悔しかった」と当時の心情を吐露した。

JJ太郎疑問>「やっと人心地がつきましたよ。先刻はどうも失礼なことを言ってすみませんでした」と謝罪する傷病兵もおり、印象が随分異なる。

ひめゆり回答>謝罪する兵隊がいたことも事実、私にそうした行動をとった兵隊は、後になっても謝罪の言葉はありませんでした。

<2>
沖縄新報>命を落とした同級生の話に触れ、「負傷し、飛び出した腸をおなかに収めながら同級生は『天皇陛下万歳』と言って亡くなった。きっと父母の名前を呼びたかったのに、死ぬときでさえそれが許されなかった」と強調した。

JJ太郎疑問>手記にはお父さん、お母さん、言っています。天皇陛下万歳とも言っています。

ひめゆり回答>腸をおなかに収めながら同級生は南風原陸軍病院で負傷した同級生で、お父さん、お母さんと叫んだのは米軍が迫り南部に撤退してきてからの話で両方とも事実。父母の名前呼んではいけないと命令されていたということではなく、死ぬときには天皇陛下万歳と叫ぶのだと強く教育されていたために、そのような行動を取ったものと私は理解しています。


<1>の話については戦場の厳しい情景を伝える目的なので、本人の体験談を話ししたと考えられます。他の人の話をしたかどうかまではわかりません。励ます傷病兵もいて、ひめゆりの手記からは様々なことがわかるのですが、テーマ的に話しをしなかったかもしれません。もし話たとしても琉球新報ならカットしたでしょう。
<2>については死ぬときは「天皇陛下万歳」と言うように、という教育があったのは初耳ですが、皇国民の意識がことさら強かった沖縄でそういう教育をしていたことは考えられます。ひめゆりの回答も推測ですからなんともいえませんが、当時は公の意識が強い時代でしたので、お父さん、お母さん、と叫ぶ人もいたので「天皇陛下万歳」と叫んだのは本心である可能性のほうが高いと思います。
 宗教に入られている人は人類滅亡の日には「おお神よ」「お釈迦様よ」というかもしれませんが、私のような無宗教者は「天皇陛下万歳」と言いますよ。「お父さん」「お母さん」なんていいませんねえ。まあ、子供は「お父さん」「お母さん」なんでしょうけど。


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