ジープウエイ



 GHQ憲法に抵抗した白洲次郎の話は昨年もテレビドラマでやっていたのでだいぶ有名になってきました。「ジープウエイ」の話はよく聞くでしょう。添付は国立国会図書館にありますが、私の手持ちのジープウエイの絵とはちょっと違います。書き写しなどのためでしょうか。

 昭和21年2月3日に憲法改正案(松本案)がGHQへ提出されましたが、それから10日後に民政局ホイットニー准将より”マッカーサー草案”を提出してきました。このとき幣原首相と松本国務相はこの草案はひとつの案だと捉えていました。しかし、白洲次郎はホイットニー准将に面会し、”マッカーサー草案”は指令であることを感じます。それを松本国務相に話をしたところ、松本国務相は手元の紙片に絵を描いて白洲次郎に示しました。その絵がこの「ジープウエイ」です。そして白洲次郎はホイットニー准将にこの絵を添えて手紙を書きます。

「彼をはじめ閣僚は貴下のものと彼らのものとは、同じ目的を目指しているが、選ぶ道に次のような大きな差異があると考えています。
 貴下の道は、直線的、直接的なもので、非常にアメリカ的です。彼らの道(日本政府閣僚のこと)は回り道で曲がりくねり、狭いもので、日本的にであるに違いありません。
 貴下の道はエアウエイ(航空路)といえましょうし、彼らの道はでこぼこ道を行くジープウエイといえましょう・・・松本博士は、その感想を次のよう(な絵)に描きました・・・」

 これはホイットニーには時間稼ぎと思われ、極めて強い返書が返されました。

「あなたのお手紙では、13日に私がお渡しした文書(マッカーサー草案)を『あまりに急進的な』という言葉で形容されているが、そのような言葉でも表現できないほどに厳しいものになり、最高司令官がお渡しした文書で保持できるよう計らっておられる(日本の)伝統と体制さえも、洗い流してしまうようなものとなるでしょう」(マッカーサー草案が受け入れられない場合のことを言っている)

 もはやこれは恫喝でしょう。これにも白洲次郎と松本国務相ひるまず、返書を書いたところ、48時間の期限付き最終通告を出しました。幣原内閣は揺れに揺れて2月21日に幣原首相がマッカーサーと会見し、受け入れを決定します。
 3月6日に閣議で新憲法の最終草案が了承され、発表されると間髪いれずにマッカーサーは声明を出します。天皇、政府によって作られた新しく開明的な憲法が、日本国民に予の全面的承認の下に提示されたことに深く満足する」
 
 このGHQ憲法には日本を管理する為の政策機関として設けられた極東委員会からも「国民は憲法を理解していない。時期尚早である」と反発があがります。しかし、GHQは4月10日の総選挙で日本自由党が第一党になり、鳩山総裁が首相の指名を待つばかりとなりましたが、鳩山一郎公職追放にし、吉田内閣ができ8月24日に衆議院で圧倒的多数で可決してしまいました。



参考文献
 河出書房新社白洲次郎
   『独立秘話を知りすぎた男の回想』白洲次郎
   『白洲次郎の抵抗』児島襄
 「英国機密ファイルの昭和天皇」徳本栄一郎著
参考サイト
 WikiPedia日本国憲法」「鳩山一郎
 Letter from General Whitney to Mr. Shirasu, dated 16 February 1946, answering "jeep way letter"
   http://www.ndl.go.jp/constitution/e/shiryo/03/081/081tx.html

添付画像
 「ジープウエイ」国立国会図書館 ハッシー文書より
   http://www.ndl.go.jp/constitution/library/06/hussey/hussey_183l.html


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