大東亜戦争時のビルマ人


 加藤隼戦闘隊の安田曹長は昭和17年のラシオ攻略のとき、被弾し、敵地の中に不時着しています。そこから120キロを歩き通して帰還しますが、このとき彼を助けたのはビルマ人でした。
 安田曹長は不時着後、ビルマ人部落を見つけて入っていくとビルマ人は驚いたようですが食事を渡してくれます。しかし、宿泊を願い出るとそれは断られました。バレたら英軍、支那軍に殺されるからです。そこで、安全な部落まで案内してもらっています。捕らえて支那軍に引き渡すこともできたはずです。また、ビルマの部落には自衛団があり、歩いていくと、「このまま進むと支那軍にやられるぞ」とまで教えてくれています。

 日本軍が攻勢だったときだけでなく、劣勢のときも日本軍を助けるビルマ人を見ることができます。インパール作戦の悲惨な撤退のときボロボロになった日本兵にも宿舎を提供し、食事を提供してくれています。また英軍の情報を教えてくれたり、渡河するときなどは適当な時間をアドバイスしてくれています。イヲワディ会戦のときもチンテレー村では防空壕を掘ってくれたり、食事を用意してくれたりと極めて好意的でした。
 もちろんすべてのビルマ人が好意的というわけではなく、村全体で英軍のスパイ活動をしていたり、瀕死の日本兵を殺して所有物や金歯の金を奪ったりしています。日本軍が劣勢になるとよそよそしくなるビルマ人もいるし、日本の軍票の価値は下がりインフレになりました。

 会田雄次著「アーロン収容所」には変わったビルマ人のことが書かれています。会田氏2,3人がシャン高原でマラリア熱が出たとき部隊から遅れ、道を間違えたとき、ビルマ人に泊めてもらっています。ところが他の部隊がこの村に入ってくるものですから、破産する村人が出てしまったのです。村人は「家も壊されたので別の村に移り住む」と言い、「何も無くなってしまった」という時は顔をしかめて両手をしきりにふってみせましたが、すぐあとでニコニコしていたとか。会田氏のカチン族ではないか、として物欲がないので殺したり、女に手を出したりさえしなかったら恨みを買わないで済むのではないか、と想像しています。カチン族というとビルマ北東部で日本軍を散々悩ませた英軍指揮下のゲリラ部隊が挙げられます。ネットで調べてみると戦前は焼畑農業で生計をたてていたので、モノが無くなれば移り住むというのが普通だったのかもしれません。



参考文献
 「栄光 加藤隼戦闘隊」安田義人著
 「真実のインパール」平久保正男著
 「アーロン収容所」会田雄次
 「死守命令」田中稔

参考サイト
 ミャンマー旅行情報オンライン http://www.myanmarplg.com/info/minitory/index.html
 WikiPedia「チンプオ族」

添付写真
 ビルマの織物(たぶんカチン族)PD

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