逃亡すると匪賊になる支那兵


 支那事変当時、支那兵はいつも逃亡のことを考えており、便衣を隠し持っていました。逃亡すると匪賊になり、民家に押し入り掠奪、強姦、虐殺を行います。ときには自軍の陣営をも襲います。

 日本に留学していて支那へ帰国したら徴兵にとられてしまった陳登元君の記録にそのことが書かれています。戦闘は上海戦のようです。支那軍総崩れになって退却したときのものと思われます。


「敗走千里」陳登元著/別院一郎訳・教材社・昭和13年3月(GHQ焚書図書開封3)

 「じゃ、道案内を頼もうか」
 狩猟隊長は、それだけ云うと、彼を先に立て、ぞろぞろとつながって暗い森から出た。病舎と炊事場との間に監視と連絡を兼ねた兵が三人ばかり残された。
 同勢十二人、足音を忍んでア!と云う間に、庭に据えられた大釜を囲んでいる五人の炊事兵を取り囲んでしまった。
「音を立てると撃つぞ」
狩猟隊長が、凄みのある低音で脅しつけた。

 支那軍の病舎の炊事場を襲って食料を手に入れようとしています。自軍を襲うんですね。
 食料を手に入れたあと恐ろしいことになります。


「ようし、皆んな引き揚げろ!」
 狩猟隊長の号令で、一同が引き揚げようとしたとき、寝転がっていた一人(襲われた炊事兵)がいきなり立ち上がって逃げ出しかかった。いつの間にか足の縄を解いてしまったものと見える。
 が、それ!と見ると、一人の兵(こっちは逃亡兵)がいきなり、銃をさかさまに構えて飛びかかっていた。
「ぐわっ」という音がしたかと思うと、その男は朽木を倒すように、どさり!音を立てて倒れてしまった。
「ついでだ!皆んなやっつけてしまえ」
 何とも云えない叫喚の声が、寝かされている男たちの口を衝いて奔った。が、それも一瞬だった。銃床が闇の空に閃いたかと見る間に、皆んな脳天を打ち割られ、へたばってしまった。

 なんとも思わず、安易に殺戮してしまいました。

 この作者の陳登元は日本に留学していただけでなく、父親も親日的な人だったので、日本に馴染んでいたようです。だからこういう批判記録を書いて日本に送ってきたのだと思います。自国に戻り軍隊に召集されカルチャーショックを受けたのでしょう。

 中共チベットウイグルで虐殺を続けて止めないのも、虐殺に対してあまり罪悪を感じないというのもあるのではないでしょうか。支那の歴史は虐殺の歴史であり、その延長上に現在があるのだと思います。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二

添付画像
 国民革命軍の騎兵隊(PD)

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