日露戦争は日本の心も世界に知らしめた 〜 坂の上の雲

 日露戦争は小さな黄色人種が大きな白人をやっつけたことにより、有色人種に希望と勇気をもたらしました。それと同時に日本の心も世界に知らしめたといえます。

 旅順攻防戦終結後、水師営で行われた乃木希典ステッセルの会見は、日本の武士道精神の精髄を世界に知らしめ、日本の精神文化に世界が驚倒した事件でした。詳細はさまざまなサイトがありますので見ていただければよいと思います。旅順戦には観戦武官といって外国の武官も数多く参加していましたが、乃木将軍と接するとことごとくその魅力の虜になったといいます。イギリスのハミルトン将軍などは退役後、エジンバラ大学の総長になってからも「自分がもしも日本人だったならば、乃木将軍を神として仰ぐだろう」と学生たちに語り続けたといいます。
 ダグラス・マッカーサーも父のとともに観戦武官として乃木将軍とともに過ごしており、大東亜戦争の日本空襲でも乃木神社は爆撃対象からはずさせたといいます。
 米海軍のニミッツ提督は東郷平八郎を敬愛し、大東亜戦争後、戦艦三笠の復元を訴えました。沖縄戦のときに慶良間諸島の日本軍に医薬品を届けたというエピソードもあります。

 日露戦争後のロシア革命においてシベリアにポーランド人の孤児が取り残される事態がおきます。ポーランド系移民協会は欧米諸国に保護を求めますが反応は冷淡でした。このとき委員のひとりが
「私の叔父は10年前の日露戦争に召集されて日本軍の捕虜になり、日本に連れて行かれた。でも叔父は数ヶ月の捕虜生活の間、周囲の見知らぬ日本人にとても親切にされたことをよく私に話して聞かせてくれた。」
と語り、白人の国ではない見知らぬ日本に援助を求めることになったそうです。(この要請により日本軍はシベリアから孤児を救出した)

 イスラエル建国の志士とあがめられているトランペルドールはユダヤ人地位向上のためロシア軍に志願し、日露戦争を戦います。旅順守備軍にいました。しかし、1905年1月1日に日本軍に降伏したため、大連から日本の大阪浜寺へ移送され捕虜生活を送ります。ここで彼は日本を学び、日本人の規律の正しさ、勤勉さ、私欲をすてて公のために協力し合うとか、愛国心などを知り、日本人の精神に心酔します。トランペルドールは後にイスラエルに戻り、ユダヤ人自衛組織をつくり、ユダヤ人集落をアラブ人の襲撃から守ります。しかし、1920年10月29日にアラブ人の武装集団の弾にあたり致命傷になります。彼はこう述べて息をひきとりました。
「アイン・ダバル!トフ・ラムット・ビアード・アルゼヌ」(俺にかまうな。国のために死ぬほど名誉はない)これは捕虜時代に大阪の浜寺で日本兵士に教えられた言葉でした。彼の遺品は記念館に展示されており「新生ユダヤ国家は、日本的な国家となるべきである」と手記が残されています。



参考文献
 オークラ出版「世界に愛された日本」
    『世界に愛された乃木将軍』福井雄三
    『ニミッツ提督と東郷元帥』皆本義博
 「世界が愛した日本」四条たか子著
 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
添付画像
 水師営での会見に際し、乃木、ステッセル両将軍が幕僚たちと撮った写真 〜 国立公文書図書館より

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