チベットの悲劇

 チベットは1911年に清朝が崩壊すると清を完全に排除します。1913年にはモンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結し2国が漢民族の侵略に対抗するようになります。
 1921年から日本はチベットに武器、弾薬を輸出しているんですね。1932年の日本軍の電報にそう記載されているそうです。日英同盟が破棄されたころですから、それらの牽制か、混乱がつづく大陸へのなんらかの策でしょうか。対米開戦の前に日本は英米から物資の締め付けを受けますが、チベットから「同じ仏教国だから」と言って大量の羊毛を日本に拠出しています。
 第二次世界大戦当時のチベットは、中立の立場をとっていますが、イギリス軍の通信施設は設置されており、1948年までは存在していました。日本との外交関係は継続しています。日本軍がビルマの援蒋ルートを壊滅させると米国はヒマラヤ経由のチベットルートをチベット政府へ要求しますが、中立を貫き拒否します。

 1949年10月、中国共産党は国民党に勝利し、北京放送で次のような放送を行います。
人民解放軍は中国全土を解放しなければならない。チベット、新疆、海南島、台湾も例外ではない」

 危機を感じたチベットは諸外国に緊急アピールをすべく代表団を送ることにし、先立って電報をうちますが、期待したものではなく孤立します。
 1950年、朝鮮戦争の勃発により世界が朝鮮半島を見ている間に中共は本格的に侵略、攻撃を開始し、なすすべもないチベットは降伏し、1951年に17か条の協定を結びますが、これは中共の偽造印によって調印を強行したのでした。そしてここから地獄のような中共の支配が始まり、現在も続いているのです。

 チベット侵略、大虐殺という主権侵害、人権侵害に日本のマスコミはなぜ沈黙するのか。日本の人権団体もなぜ沈黙するのか。我々はそれを知り、チベット問題を訴え続けるべきでありましょう。



参考サイト
 ダライラマ法王日本代表部事務局 http://www.tibethouse.jp/home.html
WikiPediaチベット
参考文献
 オークラ出版チベット大虐殺の真実」


広島ブログ クリックで応援お願いします。