満州、北朝鮮からの引き揚げ

 日本敗戦後、満州ソ連は軍関係者を根こそぎシベリアへ連行したあと、一般人の引き揚げに関しては無関心でした。一方米国は日本人は全員日本に帰還させるという方針を堅持し、1946年8月からも中共地区からも日本人の送出を始める協定が成立します。国民党軍の進出地区では5月からです。(既に国共内戦が始まっている) 「はるかなる紅い夕陽」森田拳次著で一家は新京に1年弱もすごして1946年の7月になって引き揚げの途についており、その理由がわかります。

 北朝鮮では日本人は学校などに避難生活をしており、南下したソ連兵がやってきて「ヤポンスキー・マダム・ダワイ(日本女性はいるか?)」と若い女性を探し回り、見つければ、その場で押し倒し、集団強姦をしていました。物陰などでという配慮もありませんから、父や夫が止めに入ると即、射殺されました。一応、ロシアの名誉のために書いておきますと、ソ連の先遣隊は殺人犯や強盗犯で編成された「囚人部隊」で、その後、やってきた正規軍は集団強姦や無意味な虐殺をするソ連兵を見つけるとその場で射殺しました。「こいつら死刑や無期で死ぬ運命にあった連中だ。ここまで勝手に生きてこれただけでももうけものだ」と吐き捨てるように言ったといいます。

 北朝鮮終戦を迎えた憲兵伍長の開氏はシベリアへ連行されそうになったとき脱走に成功し、平壌までたどり着きます。そしてそこの1000人以上の避難民の集団の中に身を寄せます。そこで死体の処理などを行うのですが、もう発狂しそうなくらいの生活だったと語っています。その頃、ソ連の将校に「日本人女性の家政婦を紹介してくれ」と頼まれ「朝鮮人はダメだ。来るたびに必ず何か盗む。その点、日本人はどんなに貧しくとも、盗みなど決してしない」、この言葉を聞いた開氏は「こんな悲惨な状況になっても、日本女性は凛として生きているんだ」と誇らしくなり、「俺もこんな場所で死ねない、と勇気が湧いてきた」と述べています。やはり日本人はすばらしいですね。開氏らはその後、南下し、ソウルに入り、昭和21年9月にようやく復員します。



参考文献
 「はるかなる紅い夕陽」森田拳次
 「世界史の中の満州帝国」宮脇順子著
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」



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