ロシアに侵略された清国
ロシアのアジア侵略のルートの一つにシベリアから満州へ侵略するルートがあり、シベリアでは毛皮を求めて、カムチャッカ及び黒竜江へ到達します。当然、日本も侵略のターゲットで18世紀半ばにはカムチャッカから千島列島に入り、北海道を脅かします。
20世紀に入るとロシアは黒竜江を侵略し、村々を襲い虐殺、略奪、焼き尽くします。白人の侵略の仕方はまずは条約など結んで近寄って、侵略の準備を裏で進めて一気に武力行使するとういものです。「アジア侵略秘史」(昭和16年4月)にはすさまじいロシアによる満州族の虐殺が書かれており、GHQによって焚書される以前は日本国内では常識だったのでしょう。
時、6月18日午前11時、平和なりし六十四村はたちまちの間に阿鼻の巷と化しむこの住民一万数千は、奪掠されつつある財宝、焼かれつつある我が家を捨てて、命からがら江畔にまでのがれたが、勿論、褐色に濁る大河黒龍江は渡るすべもなく、ただ対岸の同胞に向かって、口々に救助の言葉を絶叫するばかりであった。 |
上記は年がはっきりしませんが、義和団事件時のことだと思います。「アムール河の流血事件」と呼ばれており、たまたま語学留学中だった日本軍人の石光真清が手記に詳しく残しています。
西尾幹二氏のこの本の解説には「同情的」と書かれており、当時の日本人は満州族へは同情的だったのでしょう。
ロシアは日本侵略を推し進め、1861年には対馬を占領し、英国の勧告によって退去しています。南から英国が北上し、英国とロシアがぶつかったのが日本だったわけです。ロシアは満州を侵略し、朝鮮半島を侵略し、日本侵略に向けて突き進みます。英国は日本を侵略するより味方につけ、ロシアと戦わせたほうが得策と考え日英同盟に至り、1904年日露戦争となります。日本にとっては自衛戦争ですが、英国、ロシアにとっては植民地争奪戦であり、先に満州をぶんどったロシアにしてみれば英国の後ろ盾で日本が満州を侵略してきたということになるわけです。
参考サイト
WikiPedia「松前藩」「対馬」
参考文献
「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二著
「世界史からみた満州帝国」宮脇淳子著