劣化した日本

 高知市に住む吉村泰輔さんは家が昭和十九年春から海軍の士官クラブに指定され、高知海軍航空隊から四人の少尉達が週一回泊りがけで寛ぎにきていました。四人の少尉のうち、二人は転勤し、青木少尉、佐藤少尉は志願による特攻決定。吉村さん自身も昭和二十年二月一日に海軍兵学校合格の電報を受け取ります。昭和二十年五月、青木少尉は部下の横山二等飛行兵曹とともに鹿島の特攻基地を飛びたちました。ところがこの二機は米軍の対空砲とグラマンの攻撃により、敵艦目前で海に右翼から突っ込んだため爆発を逃れ、米軍に引き上げられ助かります。(中には射殺された人もいる)

 吉村泰輔さんの寄稿を読んでいると宮城県の相花信夫少尉18歳のことが書かれており、先に転出した二名の少尉のうちの一人でしょうか。感動的な遺書を紹介しています。


 母を慕ひて

 母上お元気ですか 永い間ほんとうに有難うございました 我六才の時より育て下さり母
 継母とは言へ 世の此の種の女にある如き不祥事は一度たりとて無く 慈しみ育て下されし母 有難い母 尊い
 俺は幸福だった 遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 幾度か思い切って呼ばんとしたが 何と意志薄弱な俺だったろう
 母上お許し下さい さぞ淋しかったでせう 今こそ大声で呼ばして頂きます
 お母さん お母さん お母さん

 泣けてきてどうしようもありませんね。
 吉村さんは現在の日本は劣化してしまったと述べており、寄稿文の最後にこのように書いています。


 日本民族が死に物狂いで戦った結果、沢山の国々が独立できたではないか。これは日本の誇りである。劣化したとは言え、我々には教育勅語がある。小一から丸暗記させられているうちに、やがて理解した。父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シから一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ迄は永遠の真理である。それに加えて潔さが身上の武士道。徳目は子供の頭に叩き込むもの、幾百万の英霊は、こんな国にする為に死んだのではない。

 バットで頭を殴られたような衝撃を覚えます。総理大臣が靖国に参拝しない今の日本、別の追悼施設を作る検討がされている日本。子ども人権の条例が作られる日本、村山談話を後生大事に持つ日本、劣化どころか狂っている・・・



参考文献
 産経新聞社 別冊正論「遥かなる昭和」


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