【転載】侵食される守り 沖縄米軍基地(中) 中国船出現に米軍機飛来

「我が日本はどうなる」より http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/19185430.html


前回に引き続きネット産経に掲載されなかった記事です。
日本の安全を考える上で非常に貴重な記事だと思います。

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沖縄の本土復帰後、第11管区海上保安本部は日本の海を守る上で最も厳しい現実に直面してきた。
この海域には中国や台湾が領有を主張する尖閣諸島東シナ海の海底資源問題など、一触即発の危険がある。

第11管区海上保安本部は平成4年3月に「西南海域の海上保安、20年の歩み」を発刊した。
その中の「新海洋時代における領海警備」という記述があった。

「本件は昭和53年4月12日午前7時半ごろ、哨戒中のの巡視船「やえやま」が魚釣島の北北西海域に約100隻の船影をレーダーで捕らえたことから始まった・・・
中国の五星紅旗を掲げ、機銃を装備した十数隻の漁船が退去勧告を受け入れず、領有権を主張した」つまり漁船ではなく武装船が事件を起こしていたのである。

「やえやま」は31年前、現場で孤立無援のまま300隻以上の武装船と対峙した。当時の海保隊員らの証言を総合すれば第二次世界大戦後初めて中国と日本が武力衝突する可能性があった。

「あの日の夜明け前、予定通り石垣島から尖閣諸島に向かった時のことでした。レーダーが異常反応を示したのです。乗組員全員に緊張が走りました。
最初はレーダーが濃い霧か何かをとらえただけの間違いだろうと考えたのですが、現場に到着して目を見張った。
優に300隻を超す漁船や貨物船風の船舶が五星紅旗を掲げ、自動小銃を抱えた人民服の兵士が乗船していたからです。我々には手におえないと考えた。

午前8時、管区本部に応援を依頼し、1時間後にはどこからか米軍機が飛来した。これで助かったと思いましたね。ところが、米軍機は上空を旋回するばかりで・・・。
そのうち中国船は、どんどん領海内に入り込み、上陸の準備を始めた。阻止できるのは巡視艇1隻だけ。
小型艇に5人ほどの隊員が乗り込み、退去勧告のため乗り込むことを決意したが、貨物船と見えた大型船は重機銃を備え付けた武装船とわかり驚いた。

船内のあちこちから軍服を着た兵士と見られる男が自動小銃を構え、手が震えているのもはっきりと見えた。
われわれはすぐにうつぶせになり、武器のないことを示そうとしたが、ひとつ間違えれば射殺されていた」

事件の深刻さに気づいた海上保安本部は中国武装船団の発見から2日後に尖閣諸島警備実施本部を設置、全国から集まった10隻の巡視艇、4機の航空機で船団を領海外に押し戻したと記述されている。事件は2ヵ月後収束した。

だが、当時の海保隊員は、実態は「押し戻したのではなく中国側が断念したからだ」と証言した。
文化大革命直後の中国軍はまだ近代化にほど遠く、まともな艦船がなかった。周辺の海図さえなかった。それが断念の背景だ」
さらに武装船が重機銃を装備していたことについて「沖縄の米軍機の反応を確かめる意味があったのでは」と話した。

あれからほぼ30年を経て中国軍の近代化は改革開放による経済発展とともに急速に進んでいる。米国防総省が今春発表した「中国の軍事力に関する年次報告」では「中国は2020年までに複数の空母を建造し、EEZの権益や領有権の主張を始めるだろう」と警告している。

また、中国海洋調査船の活動についても海保幹部は「この10年間、中国の調査船の航路に赤線を入れてみると、東シナ海は真っ赤になってしまった。
沖縄近辺の詳細な海図を既に持っているはずだ」と話している。

昨年12月、その調査船2隻が尖閣諸島近くに停泊した。
日本の領海内だ。だが退去勧告に対して中国海洋調査船は「中国領海から退去せよ」と逆に厳しい口調で返答してきたという。
(2009.6.23 産経新聞
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