挫折、そしてシドニーへ 〜 白瀬中尉の南極探検

一度挫折した南極探検。


 明治43年(1910年)11月29日、白瀬中尉を隊長とする総勢27名、樺太犬29頭の南極探検隊が「開南丸」に乗り東京芝浦を出航します。本来は8月中旬に出航する予定でしたが、船の手配がなかなかつかず、大幅に遅れての出航となりました。この遅れは致命的となりました。ニュージーランドウェリントンに寄航し、そこから南極へ向けて出航したのが、2月10日となります。これまでシャックルトンという探検家が南極探検を行ったのが有名で、3月になると海に氷が張り始め、急激に厚くなり、船の行く手を阻むことが知られていました。このため、ニュージーランドの新聞では「白瀬隊の本当の目的は航路発見か、アザラシ猟ではないか?」と報じています。

 案の定、「開南丸」は3月に南極圏に突入しましたが、9日になると船の前後から海面が凍りはじめます。海面は、まず小さな蓮の葉のような氷盤ができて、それがだんだん成長して、大きな氷盤となり、それらが密集して海面全体を覆うようになり、これに雪が積もり、氷も厚さを増していくのです。3月14日、白瀬隊長は遂に南極上陸を断念、オーストラリアのシドニーに行き、再挙をはかることにし、隊員へ告げました。

 書記の多田恵一
「隊長の一言一言も曇りを帯びて勢いがない。これを聞いた10名の隊員は、ただ黙するのみ。一時二十の眼光はあたかも暗夜の炬(きょ 松明、かがり火のこと)のごとく、炯々(けいけい するどく光るさま)として凄いまでに光、又た隻語(せきご ちょっとした言葉)だに発するものなく、何れも無念の涙を呑む・・・」

 シドニーに到着した白瀬隊に新たな困難が待ち受けていました。当時、オーストラリアは白豪主義であり、有色人種は蔑視されていたのです。シドニーの新聞はこぞって白瀬隊を警戒するよう書き立てます。

「隊長以下隊員一同は何れも予備軍人にて、名を南極探検に借るも実はこの地に何らかの野心を有する軍事的日探(スパイ)である。宜しく上陸を拒絶して、万一の危険を保障すべきだ」

これぐらいの論説はまだマシなほうで日本人にを誹謗中傷するような「隊員というのは偽者だ。ゴリラだ。その証拠に体が矮小で真っ黒く、動作も猿そのものではないか」という記事まで紙面をおどりました。これにシドニー大学のデービッド教授が反論し、白瀬隊を応援してくれます。

「・・・日本探検隊はゴリラに非ず、世界に類なき、勇ましい探検隊である。東洋から千里の波濤を踏破してきたさえ異数とするに、既に3月10日には南緯74度の・・・勇ましき日本の探検者を大いに労え。探検隊に対する我等の義務である・・・」

 デービッド教授はシャクルトンの南極探検隊に加わった人で、教授の論説により一夜にして白瀬隊は「ゴリラ」から「勇士」に変身します。シドニー市民は続々と集まり、みやげ物をくれる、菓子をくれる、花輪をくれる、新聞記者が取材に訪れる、晩餐会の招待される、など大変なモテようになりました。

前出、多田書記「滞在の日重なるに従って来訪の人いよいよ多く、殊に女学生が三々五々公園への散歩がてら我等を訪れて、その都度、カステラ、ビスケットを寄贈されたには驚いた

 白瀬中尉はこれらのことを「パノラマ式変化」と呼んでいます。遂には白瀬中尉に結婚を申し込むレディーまで登場しています。白瀬中尉はパーティに招待されてダンスを申し込まれて踊れないので困ったり、お茶に誘われて女性が腕を組んでくるのに面食らったりしています。

 そして11月19日、開南丸は南極へ向けて再び出航します。多くの外国人がヨットやボートで開南丸の周囲を取り巻き「バンザイ!」と叫んで見送ってくれました。白瀬中尉はお世話になったデービット教授に日本刀「左陸奥守包保(ひだりむつのかみかねやす)」を贈りました。

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 「左陸奥守包保」の存在が再び世に登場したのは68年後の昭和54年(1979年)のことで、デービッド教授の二女メアリー・デービッドさんの自宅の食器棚の奥から発見されました。刀は錆びていましたが、刀剣研師の手によってよみがえり、「日豪友好のシンボル」として話題になり、シドニーのオーストラリア博物館に保存されました。

 平成14年(2002年)5月1日、小泉純一郎総理(当時)がシドニーに訪れたとき次のような演説をしています。
「・・・日豪両国は永い協力の歴史を持っています。象徴的な出来頃を一つ紹介したいと思います。今から90年前に、白瀬中尉率いる我国として初めての南極探検隊が南極大陸上陸に失敗し、再挑戦のためにシドニーに滞在しました。資金難などに苦しんでいた探検隊を豪州の方々は物心両面で支えてくれたのです。その87年後、氷海に閉じ込められた豪州の『オーロラ・オーストラリアス』号を救出したのは、白瀬中尉の名前をとった砕氷艦『しらせ』でした・・・」



参考文献
 新潮文庫「極 白瀬中尉南極探検記」綱淵謙錠(著)
 成山堂書店南極観測船白瀬矗小島敏男(著)
 岩崎書店まぼろし南極大陸へ」池田まき子(著)

添付画像
 開南丸(PD)

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<宗谷 南極探検関連リンク>


白瀬南極探検隊記念館 http://hyper.city.nikaho.akita.jp/shirase/



白瀬日本南極探検隊100周年記念プロジェクト http://www.shirase100.jp/index.html


船の科学館 南極観測船”宗谷” http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html
日本財団図書館 船の科学館 資料ガイド3 南極観測船 宗谷 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00032/mokuji.htm

みらいにつたえるもの http://www.geocities.jp/utp_jp/soya.html