黒船来襲、開国か攘夷か

割れた国論。




 嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、浦賀沖にアメリカのペリー提督率いる黒船艦隊(東インド艦隊)が来航しました。旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピ」(同)、「サラトガ」(帆走スループ)、「プリマス」(同)の四隻です。大砲は計73門あり、情報では海兵隊も乗船しているといいます。

 来日より下交渉が行われ、6月9日(7月14日)に国書の授受が行われました。応対した奉行は井戸石見守と戸田伊豆守です。ペリーは日本側の事情を考慮して即答を求めず、一旦、日本を離れたと言われていますが、実際は艦隊の食糧、水が十分でないのと贈り物を積んだバーモント号が到着していないという事情がありました。

 ペリーから幕府あての書簡には来春再訪すると書かれています。それまでに対応を練って方針を決めておかなければなりません。合衆国大統領からの国書には「通商」ほか難破船の船員救助や燃料供給について書かれていました。ここで老中首座・阿部正弘は国書受理の2週間後には大統領国書を各界に回覧して意見を求める老中諮問を行いました。現代でいうパブリックコメントです。当時では異例なことで、町人からも意見を募っています。

 老中達(たっし)
「これは国家の一大事であり、<通商>を許可すれば<御国法>(国是)がなりたたず、許可しないなら<防御の手当>(国防の設置)を厳重にしなければ安心できない。彼らの術中に陥らぬよう、思慮を尽くし、例え忌諱(きい)に触れてもよいから、よく読んで遠慮なく意見を述べよ」

 この老中達には800通もの提案書が提出されました。町人からも提出されています。吉原遊女屋の主人、藤吉の提案を見てみます。
「・・・黒船退治のために漁船1000艘を支配することをご許可いただきたい。もし、外国船を発見したならば、奉行所に注進するとともに、その外国船に接近したい。そして、気どられぬように仲良くし、外国船の上で酒宴など催し、わざと仲間の喧嘩をするなど騒ぎを起こし、その船の外国人が口出し・手出しをするのをきっかけにして、ふいに襲撃する。かねて探しておいた火薬庫に火をつけ・・・この作戦では、当方も過半数が焼死するだろうが、お国のために死ぬことは覚悟の上である」

実現性の薄い提案ですが敵の懐に入り込む戦法をとる主戦論です。国難に際して町人が強烈な国防意識を持っていたことがわかります。

 福井藩主・松平慶永(春嶽)
アメリカの要求をのんで、通商を許容すると、わが国の有限の財物を吸い取られ、わが国は衰弱していく」
「ペリー提督は江戸湾内の測量も完了し、かつ、江戸湾を防衛する砲台の不十分なことを調査ずみである。次回の来航にあたっては、勝手気ままに動き回り、争いを挑発し、イギリスの中国におけるがごとき行動をするだろう。といって、期限を区切ってでも通商を許容すれば、これは列強国全体に屈服したというべきであって、日本の国の国辱となるだろう・・・」
「したがって、断固として通商拒否するのが良策である。もちろん、その場合には戦争になるであろうから、ペリー提督がたとえ幾十艘の軍艦を引き連れて来航しようとも、一戦の覚悟で対応すべきである」

 長崎の町名主、兵学者である高島秋帆(たかしま しゅうはん)
「交易が希望であれば、許容すればよい。交易というのは、ある国が一方的に利益を貪るということではない。遠くから海を渡って交易のためにやって来るには、莫大な利益のある交換輸入品がなくては成立しない。利潤のない交換輸入品では、とても引き合わないので列強から撤退することになる」
「宗教を利用して国民を惑わせ、武力を用いずに他国を征服するのは、列強国の作戦である。外国との交易は禍の元だと懸念する向きもあるが、わが国は武勇に優れ、知恵も深くそのような策略にはまる心配はない」
蘭学からは科学技術を学ぶことができる。戦艦製造法、大砲の技術、軍隊の戦法など学んで、列強国と同じレベルになれば、彼らが多大の軍費を費やして遠く海を渡って襲来するのは『彼らの損』となるだろう」

 「大日本古文書」収録の提案書の分類は以下のとおりです。

 開国・積極交易・・・・・・・・・・7
 避戦・交易許容・・・・・・・・・22
 穏やかに交易拒否・・・・・・29
 戦う覚悟・交易拒否・・・・・29
 意見なし・・・・・・・・・・・・・・・・3

 これを民主的思考で見ると断固「交易拒否」だが戦争にならないよう穏やかに交渉し、どうしても交渉がまとまらず、相手が武力に訴えてくるなら一戦やむなし、というところに落ち着くでしょう。実際、老中・阿部正弘は「戦争はなんとしても回避すること」「交易は許可しない」という方針を示して、林大学頭に交渉を任せています。そして江戸湾警備を増強、砲撃用の台場を造営しました。大船建造の禁を解除し、各藩に軍艦の建造を奨励し、オランダへ艦船発注を行い、黒船の再度来襲に備えました。



参考文献
 ちくま新書「幕末外交と開国」加藤祐三(著)
 ハイデンス「ペリー提督と開国条約」今津浩一(著)
 小学館「ペリー提督日本遠征日記」M・C・ペリー(原著) / 木原悦子(訳) / 童門冬二(解説)
添付画像
 サスケハナ号(PD)

広島ブログ クリックで応援お願いします。