靖国参拝

 そこに彼らはいる。靖国神社


 GHQの日本占領時代、GHQ内部から「靖国神社は焼き払うべきだ」という意見がでます。GHQ内部にはフランクフルト学派と呼ばれる隠れマルキストらが潜入していました。彼らはルカーチ理論に基づいて伝統や文化を破壊しなければいけないと考えていました。これに対し立ちはだかったのが駐日ローマ法王庁バチカン公使代理だったブルーノ・ビッテル神父です。

「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務があり、それは戦勝国か敗戦国化をとわず、平等の真理でなければならない
(中略)
いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを、進言するものである」

 靖国神社は明治2年、戊辰戦争の戦死者の御霊を弔うようにとの明治天皇の思し召しによって建てられました。(当時、東京招魂社)国内の戦乱、日清戦争、北清事変、日露戦争第一次世界大戦支那事変、大東亜戦争の御霊が祀られています。軍人だけでなく、軍属として従軍した人たちも祀られています。命がけで日本を護った人たちです。

 ブルーノ・ビッテル神父の言うように国を護ってなくなった人に敬意を払うのは世界的な常識といえます。

「日本人はとても素敵だった」楊 素秋著より

「なぜ靖国神社に参拝してはいけないのでしょうか。
 靖国神社に首相が参拝すると、中国や韓国から非難され、日本国内ですら反対論が声高に叫ばれますが、自国の祖先の霊を鎮めるために行くんだと、自国民の霊を弔うのがどうしていけないのかと、それと君たちの国と何の関係があるのかと、内政にまで口をはさむなと、なぜいえないのでしょか?不思議で仕方ありません。
(中略)
 昔、日本人は東洋のために命をなげうったのです。戦争に行くときはみな、東洋のため、東洋平和のためにと言って行ったのです。その人たちの霊に対して、「霊が浮かばれますように、そしてとにかく安らかに眠ってください」と祈ることのどこが悪いのでしょうか。そのことと政治とは何の関係もありません」

 中共、韓国に遠慮する政治家は世界常識と国を護るために亡くなった日本人の立場を考えてもらいたいものです。国立追悼施設を作ればいいなどという政治家もおりますが、亡くなった人はそれを望んだでしょうか。”約束”したんでしょう、靖国に祀ると。憲法上、無宗教が良いという政治家もいるようですが「宗教」と「習俗」の区別もつかないのでしょうか。「宗教行為」と「宗教活動」の区別もつかないのでしょうか。また「政教分離」はGHQの隠れマルキストらが日本破壊を目的として打ち立てたものです。いつまで騙されているのでしょう。

 日本人は当たり前のことに早く目覚めなければなりません。



参考文献
 「正論」2009・10『平和を祈る心と戦没者慰霊への思い』上島嘉郎
 「日本人はとても素敵だった」楊 素秋著
 「渡部昇一の昭和史(続)」渡部昇一
   
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国旗の重み 靖国編〜ブラジルからの手紙〜
http://www.youtube.com/watch?v=8KGdvOE7hs8