従軍慰安婦の正体





 戦時における軍隊の将兵の性の処理は以下に分類されます。
 
A.前線の近くの都市に売春婦の街を作る。売春婦は現地女性。

B.軍が民間の置屋を同行させ、前線よりやや後方の兵站部隊のあたりに設置する。

C.売春婦が勝手に軍部隊の駐屯地に群がる

 このうち、A,Bは現地でのレイプ防止の性格を持ちます。戦時中の日本軍の場合は主にBでした。昭和17年のシンガポール陥落のとき、人々は日本軍がシンガポールの女性を強姦するだろう(プロパガンダが撒かれていたと思われる)と恐れおののいていましたが、そのようなことは起こりませんでした。のちにシンガポール首相となったリー・クアンユーは日本軍の建てた慰安所の前に兵士たちが200名ほどもずらっと並んで順番を待つのを見て、これは日本なりの現実的で効率的な選択だと思ったと述べています。その中には日本と朝鮮の女性たちがいたといいます。この形は朝鮮戦争でも引き継がれ、昭和27年(1952年)にソウルの三箇所と江稜の一箇所に収容された慰安婦は全部で89名という公式報道がされています。その年に慰安所を訪れた兵士の総数は24万4千名あまりとされています。慰安婦問題を口にする韓国が同じことをやっているわけですからおかしな話です。

 米国の場合はAのタイプで朝鮮戦争が始まったとき、横浜、大阪、小倉の三箇所に日本人女性の慰安婦を集めた米軍管理の「センター」を設置しています。米軍が昭和20年に日本に上陸したときもRAA協会という特殊慰安施設協会を設置し、1360人の女性が採用されています。

 古くはヨーロッパの十字軍はCのタイプになります。フランスやドイツは日本軍と同じBのタイプです。ただヒトラードイツの場合はユダヤ人女性を強制的に置屋に配置させたといいます。日本軍の場合は強制は禁止し、悪質な業者は処罰しています。

 問題なのはA,B,Cのシステムを持たない国の軍隊です。ソ連です。ですから、大東亜戦争の末期に満州へ攻め込んだソ連兵は女性をレイプしまくったのです。これは「給与」みたいなものだったといいます。あまりにもひどいので、ソ連軍将校が止めにはいると「給与」の支給妨害にも相当し、将校のほうが銃殺されることがあったそうです。満州から帰国できた婦女子は約30万人。強姦後に殺害されたり、自殺したもの、行方不明になったもの、残留したものは5万人と推定されています。ソ連満州北朝鮮だけでなく、占領したドイツでも同様のことを行っています。ソ連の場合は、犯罪者などを最前線において督戦していたので、モラルも何もあったものではなかったでしょう。
 それから朝鮮半島で強姦された女性の実態によるとある特定の時期に不法妊娠した女性が47人おり、その加害者の内訳は朝鮮人28、ソ連人8、シナ人6、米国人3、台湾人1、フィリピン人1、となっています。朝鮮人ソ連人を上回っています。もっとも残忍だったのは朝鮮人だったのです。こういうことは現在隠されているでしょう。上坪隆「水子のうた」(社会思想者)に記載されているそうです。

 こうした事実にもかかわらず、韓国人は「従軍慰安婦賠償」と言って賠償を求めてきます。現代からみれば当時の置屋についても健全ではなく映ります。当時の時代背景を隠し、自分たちがやったことも隠し、当時と現代のギャップを利用し、日本人に贖罪意識を植え込み、カネをむしりとうろうとしているということです。これに同調している政治家や団体がいます。マスコミも真実は語りません。われわれは騙されてはなりません。



参考文献
 「歴史を捏造する韓国」中川八洋
 「大韓民国の物語」李 榮薫 著,永島 広紀 訳
 「歴史通」2010.7『奴隷のいた国、いない国』高山正之
添付写真
 妓生(きしょう、キーセン)と呼ばれる女性。日韓合邦直後ぐらいの写真と思われる。(PD)
 朝鮮宮中内の宴会などで楽技を披露するための女性であるが実質は娼婦。
 
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5秒でわかる「従軍慰安婦の正体」
http://www.youtube.com/watch?v=wpT6mXqIDPk