狂気が先行した東京裁判
東京裁判では昭和天皇は訴追されていません。これは天皇・マッカーサー会談でマッカーサーが昭和天皇の態度を見て感激し、天皇を残すことを決めたという話があります。これはほとんどウソですが、部分的には合っているところがあるかもしれません。実際はOSSというアメリカ戦略情報局によってほぼ決まっていた規定路線だったことがわかっています。マッカーサーはこれに従っているだけです。天皇を利用して日本統治を進めようとしたのです。
しかし、ソ連とオーストラリアは昭和天皇を裁くべきと主張しました。ソ連は日本国内を混乱に落としいれ共産化したかったのでしょう。オーストラリアは人種差別的意識からではないかと思います。ウェッブ裁判長(豪)も同調していました。
オーストラリアは昭和21年1月に62名の戦犯リストを提出しています。この中に昭和天皇の名前がありました。これにはオランダ、ベルギー、ニュージーランドが同調し、英、支、ノルウェーは反対しています。
この前年、昭和20年(1945年)11月に米国の統合参謀長会議はマッカーサーに極秘通達を送っています。
「天皇は戦争犯罪人として逮捕、裁判、処罰から免れていない、というのが米国政府の態度である。天皇抜きでも占領が満足すべき形で進行し得ると思われる時点で、天皇裁判問題が提起されるものと考えてよかろう」
規定路線として天皇を利用して統治を進めるものの、それが軌道にのれば天皇訴追を考えてもいいのではないか、というものです。しかし、マッカーサーは東京裁判に対してかなりの部分で否定的だったので、オーストラリアが天皇を訴追すべきとしたとき「そのような証拠は何もない」とし、「もし天皇を裁判に付そうとすれば、占領計画に大きな偏向を加えなければならず、占領軍の大幅増強が絶対不可欠となるだろう。最小限にみてもおそらく百万の軍隊が必要となり、無期限にこれを維持しなければならない」と反論し、この議論には終止符がうたれました。
これらの話もニュルンベルクの憲章自体も、それを東京裁判に持ち込んだりするのも、この頃は文明とは思えない狂気が先行していたと感じますが、マッカーサーはこの点では比較的冷静だったようです。
時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神は、
その秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、
そのところをかえることを要求するだろう。
パール判決文より
参考文献
「創られた東京裁判」竹内修司著
「東京裁判とその後」B・V・A・レーリンク/A・カッセーゼ編/序 小菅信子訳
「歴史通」WiLL2009.10『野坂参三 共産政権の誕生』田中英道
「パール判事の日本無罪論」田中正明著
添付画像
裁判所が置かれた市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂(PD)