国土が荒れた韓国を復興させた日本

 韓国(李朝)時代の18世紀の中盤から終わりにかけて朝鮮半島の環境が破壊されていきます。人口が増え、食糧の需要が増加すると、木を伐採して山地を開墾しました。暖房に必要な燃料である薪の需要も増加し、木を切り倒しました。こうして山林が荒廃し19世紀の末になると大部分の山野が赤く禿げ上がってしまいます。

探検家 ベ・エム・ジェロトケビイチ 朝鮮旅行記 1885年
「どこまでいっても禿山と赤土ばかりで、草もすべて燃料のために刈り取られる」
「山地が痩せていて、昨年もたくさんの餓死者が出た」
「ここは退屈極まりない土地で、山は禿山、植生はほとんどみられない」
朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木は皆無で、燃料には藁と草が使われている」

 山林が荒廃すると洪水も発生しやすくなります。土砂が田畑に流れ込み農業生産が減少し始めます。18世紀の中ごろに比べて19世紀の末には土地の生産性が1/3まで落ち込んだといいます。
 しかし、租税は減免されることはなかったため、農家には大きな負担となり、各地で一揆が起こり始めます。この一揆の頂点は1894年の東学党の乱です。

 こうして李朝は自滅したのです。日清戦争で日本は韓国の独立をかけて戦いましたが、もう自滅してどうにもならなくなり、結局独立は無理で韓国が日韓合邦を望んだのです。日本が滅亡に追い込んで植民地化したのではありません。

 初代朝鮮総督寺内正毅は「治山しなければ治水しても効果は無い」として、朝鮮半島の治山治水に力を入れます。1915年より気象、水位、流量、改修築予定区域の実測調査に着手します。これは10ヵ年計画の治水事業とされ、予算5000万円で帝国議会を通します。(日本国民の血税ですよ) 森林保護令、幼齢林の育成、民有林に対する造林補助、病虫害駆除、森林組合への補助、林業試験場の整備、地方庁職員の増員など、実践的な政策を次々に断行します。
 また総督府は山林を縁故者に無償で譲る法令を出し、民有化を進め、生態保護に努めます。更に、愛林思想を育成するため、農林局は1911年から毎年記念植樹を行い、30年間で5億9千万本の植林を果たす計画をたてます。それから砂防工事が朝鮮全土規模で実施されます。
 こうして山林は回復していき、水田面積は1910年の84万7千町歩から1928年頃には162万町歩へ倍増していきました。

 現在、韓国では日本統治によって森林が掠奪されたという話があるようですが、真っ赤なウソです。



参考文献
 「大韓民国の物語」李 榮薫・著 , 永島 広紀・訳
 「日本の植民地の真実」黄文雄

参考映像
 KOREA 韓流 日韓併合前の韓国 http://www.youtube.com/watch?v=NorHJJ78QMY


http://http://www.youtube.com/watch?v=NorHJJ78QMY

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