チベットを侵略した英国
日露戦争は満州から南下するロシアと支那から北上する英国が衝突した戦争ともいえます。日本は安全保障の必要上、英国と国益が一致し、日英同盟を結び日本が戦った。英国は自らが戦うより日本に戦わせたほうが良いと考えました。
では、英国は何をしていたかというと、チベットを侵略していたのです。ロシアはモンゴルから東トルキスタンを侵略し、チベットを侵略して南下してインド洋に出ようとしており、英国はインドからチベットへ向けて侵略の手を北上させていましたから、ここでもロシアと英国はぶつかるわけです。日露戦争を日本に戦わせてロシアが満州に手をとられている間にチベットを侵略するという実に狡猾な外交戦略だったわけです。
1904年(明治三十七年)にイギリス商業施設団を派遣します。中身は軍隊です。ダライラマはウランバートルへ亡命します。ロシア側は猛抗議し、チベット人も反英運動を行いますが、武力恫喝によってインド・ラサ条約を結びます。(英国の植民地インドを使って条約させた)そして次に清国の影響を排除させるため、英清北京条約を結び、チベットの支配権を獲得します。
英国もロシアも大侵略者です。アジアというのは白人の侵略争いのターゲットになっていたわけです。侵略の歴史、侵略国家を語るのであれば英国やロシアが代表格のはずです。日本がアジアを侵略した、侵略国家などということはなく、日本は侵略される側に居たのです。
参考サイト
Wikipedia「チベット」「東トルキスタン」
参考文献
「GHQ焚書図書開封2」西尾幹二著