チベット大虐殺の残酷さ

 支那人の非道、残酷さは日本の歴史でも通州事件に刻まれている通りです。

 チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ちにされます。尼僧との性交を強いられたりします。売春婦をつれてきて僧に性交を強要し、僧が拒否すると腕を叩き切られ「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたといいます。大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていきます。

 性的暴力はひどいもので、尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話しています。

 つかまった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされました。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。そして、大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けました。やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げまわりました。そしてついに気絶したのです。気付くと水をかけられてびしょ濡れになっていました。再び拷問が始まりました。電気棒を口や肛門、女性器に押し込んできました。私はあまりの痛みとひどさに再度気を失いました。

 電気棒は家畜に用いる電気ショック棒です。80年代から使われたようです。民族浄化作戦で女性が子供を産めないようにする目的でも使われたようです。

28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史

 私が逮捕されたのは26歳のとき。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられました。しかし、実際には看取の性欲処理係でした。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えました。でも思いとどまりました。豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来たからです。私たちの行為がなかったら、彼らは一ヶ月と生きられなかったでしょう。刑務所内の食糧事情はひどいものでした。

 中共はこれらを「亡命者の証言は虚偽」と主張していますが、複数の証言を符合させれば事実というのがわかるでしょうし、歴史的に見て支那人の手口です。
 日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言の性的暴力のところは隠蔽して報道しました。朝日新聞岩波書店の月刊誌「世界」です。このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害されるそうです。ニセ人権主義者が日本に大勢潜んでいるということでしょう。



参考文献
 オークラ出版チベット大虐殺の真実」
   『チベット人権弾圧クロニクル』岩田温
   『私が見た真実のチベットの姿』大高未貴
   『シナチズムという民族浄化』若杉大
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『国境あり人権団体のチベット女性見殺し』酒井信彦
 「チベット問題を読み解く」大井功著
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」− 電気ショック http://www.tibethouse.jp/human_rights/human25.html


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